桐野さんの新作は、なんともドロドロした不倫小説でしが、それだけではありません。「自分だけの秘密」を、形を変えながら何度も繰り返して「書くこと」が宿命である「小説家」という人種は、不倫の「狂乱と抹殺」をどう扱うのか。「書くこと」の本質に迫る作品に仕上がっているのです。
小説家の鈴木タマキは、緑川未来男の『無垢人』という壮絶な不倫小説に登場する「○子」という愛人を題材にして『淫』という小説を執筆中であり、「○子」の正体を探し出そうとしています。「○子」とは、少女趣味と噂された緑川と親しかった、かつての美少女なのか。実力にそぐわない新人賞を受賞しながら、文壇から抹殺された女流作家なのか。それとも「○子」とは架空の存在であり、これは夫婦間の愛憎を描いた小説なのか。
同時にこの小説は、タマキ自身の不倫体験を総括するものになろうともしています。男の醜い嫉妬心、執着心、エゴイズムを承知しながらも、双方の家族や仕事関係をも無視して突き進んでいった狂気の恋愛と、ふいに訪れたその抹殺。
ここでいう抹殺とは、自分の都合で相手と関係を断ち相手の心を殺すことなのですが、やがて、その不倫相手に「本当の死」が訪れたとき、その関係は浄化されるのか。それとも「小説」の中で、ある意味で赤裸々に、ある意味で著者に都合の良い題材として虚構化されていくのか。事実に、虚構に、「此岸の涯」はあるのか。悪魔なのは小説なのか。それとも作家なのか。
文筆の才を持ちながら、小説家の妻であったが故に夫の存命中は認められなかった緑川未来男の未亡人である千代子が、「亡夫の日記を改編している」という場面には背筋が凍る思いをしました。それが「彼女の創作活動」なんです。
2009/9読了