りぼんの読書ノート

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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか(内山節)

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レトロさんが紹介してくれた本です。かつては「人がキツネに騙された」という話は日常的なありふれたものだったのに、1965年頃を境にして、この種の話は新しく発生しなくなってしまったとのこと。どうして日本人はキツネに騙されなくなってしまったのでしょう?

原因はいろいろ考えられそうです。東京オリンピック。高度経済成長。農村から都会への人口流出。核家族化。テレビの普及。アメリカ的消費文化の礼賛。グローバリゼーションの萌芽。照明の発達・・いわゆる「近代化」ですね。著者もまた「近代化による人間の変化」、とりわけ「死生観」や「自然感」の変化を重視しているようです。(キツネの側も変化したようですが・・)

でも「近代化がつくりあげた人間像」といっても、それほどのものではないように思えるのです。キツネやタヌキや河童や天狗が消えても、かわりに「UFO」とか「国際的陰謀」とか「とんでも科学理論」とか、別のものが登場してきたわけですから。結局は、理解を超えた不思議なことに遭遇したときに「何に原因を求めるのか」という対象が変わっただけとも言えそうです。しかし、そこが決定的な変化なのかもしれません。「何に原因を求めるのか」との判断こそ、その人が生きてきた環境や経験によって作り上げられた人格がなせるわざなのでしょうから。

失われたのは「キツネに騙されたという感覚」ではなく、「キツネなどに仮託されてきた『生命性の歴史』そのものではないか」というのが著者の主張です。その視点に立つと、そもそも「人格」なんて言葉自体、個人を自然や集合体から切り離す「西欧的合理主義」の産物にすぎないとも思えてきちゃう。^^;

著者の主張は、西欧の物まねではなくて、日本固有の豊かで多様な自然に立脚した「歴史哲学」の必要性にまで行き着きます。そのために20代の頃から群馬県上野村に通い続けているというのですから、本物です。

2009/9