りぼんの読書ノート

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コルシア書店の仲間たち(須賀敦子)

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須賀さんが20代から30代の日々を賭けた、ミラノのコルシア書店。この書店でめぐり合ったペッピーノを夫とし、彼の早逝後もその場所にとどまり、個性的で理想に燃える仲間たちと共に仕事をした、彼女にとって一番大切な場所。

この本は、ある意味では挫折と別離の物語です。レジスタンスの同志だったダヴィデ・トウロルド司祭とカミッロ・ピアツ司祭が友人たちとはじめた書店は、出版・講演・ボランティアなど、一種の共同体的な存在でした。

須賀さんが翻訳者として加わった頃は、夫となるペッピーノや、大手の出版社を本業とするガッティや、ブルジョワ令嬢のルチアらが活躍する、書店のピーク時。貴族や実業家、作家や新聞記者、教師や聖職者などのファンも多く、いつも熱気で溢れていたようですが、60年代末の「若者の反乱の時代」に当局からマークされ、立ち退きを迫られてしまいます。

夫を亡くしたばかりの須賀さんにとっては、二重に苦しい時期だったのでしょう。やがて、中心メンバーの関係がぎくしゃくしはじめ、須賀さんも帰国することになります。コルシア書店という存在を総括するかのような、須賀さんの文章をそのまま紹介します。こんなに素晴らしい文章の要約など、とてもできません。
コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだったと思う。それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
(中略)若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
先にこの本を、「挫折と別離の物語」と書きました。でも、帰国して20年後に書かれたこの本では、当時の「挫折と別離」だって、その直前の「情熱と出会い」と同じ価値を持つ素晴らしいこととして描かれているかのようです。どちらも、須賀さんにとって大切なものなのですね。

「本の結末を先取りしてしまった」ような「事実」に触れたことを記す後書きに込められていたものは、決して悲しみだけではありません。もっと澄み切ったもののようにも思えるのです。

2008/2