りぼんの読書ノート

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宮尾本平家物語 4(宮尾登美子)

いよいよ平家の栄枯盛衰を綴った長い物語も終わろうとしています。安徳天皇を連れて都落ちした後の平家は四国屋島に内裏を建て、

備中水島で木曽義仲軍に大勝。播磨室山でも源行家軍を破って京へ帰還する勢いを見せますが、それも源義経が登場するまでのことでした。源頼朝の命で上洛した範頼・義経軍は、後白河法皇を幽閉して朝敵となった義仲を宇治川合戦で葬り、勢いのままに平家追討の指令を下されます。一の谷と屋島義経に敗れて再び海上に逃れた平家が、壇ノ浦の戦いで滅亡したのは1185年のことでした。

 

壇ノ浦で起こった数々の悲劇は、圧倒的なクライマックスです。それまでの間、平家側では清盛の弟である平頼盛の離脱、清盛の孫にあたる清経の入水、清盛の5男・重衡の捕縛、清盛の嫡孫・維盛の離脱と入水などの動きがあり、源氏側では源義経の郷姫との結婚や静御前との関係、義仲の嫡男・義高の追討などの動きがありますが、いずれも些細なエピソード。平家滅亡後に源義経がたどった滅びへの道筋も余談でしかありません。

 

その一方で、著者が採用した荒唐無稽に思われる「安徳天皇身代わり説」は、「平家物語」を締めくくるエピローグと直接関係していきます。建礼門院徳子をはじめとして、戦乱の世を生き延びた清盛の娘たちが再会する場面でその意味は明らかになります。著者は平清盛と徳子の血筋を後世に遺したかったのですね。平家ゆかりの女性として一門の行く末を見届けた治部卿局・明子や大納言佐局・輔子の墓は、建礼門院に最後まで仕えたを阿波内侍の墓と共に、大原寂光院の裏手にひっそりとたたずんでいます。

 

2024/4