1.黄金虫変奏曲(リチャード・パワーズ)
バッハの「ゴルドベルク変奏曲」とポーの『黄金虫』を合成したタイトルを持つ本書は、分子遺伝学、進化論、情報科学、音楽、文学、歴史、絵画などの知識を縦横無尽に駆使して創作された野心的な作品です。1950年代の遺伝子学者たちと、1980年代の情報技術者たちの2組の恋愛模様が、長い時の中で反復や変奏を奏であいながら、二重螺旋のように絡み合っていきます。人類の傲慢で愚かなふるまいが、人類自身を含む多様な種の保存を脅かしていることへの警鐘を鳴らしつつ、人々に祝福を与えるという超絶技巧が凝らされているにもかかわらず、読後感は爽やかです。
2.ザ・ディスプレイスト(ヴィエト・タン・ウェン/編)
トランプ大統領の誕生によるアメリカの排外的政策や感情の高まりに危機感を抱いた、「難民作家」たちによるエッセイ集です。編者は「難民にとっては亡霊のように無視されることも、脅威とみなされて排除されることも、どちらも暴力である」と語りかけてきます。そして「ひとたび難民となってしまったら、新たに永住の地を得た後も、難民だった時の記憶は残り続ける」のであり。「声なき声」と呼ばれる難民たちは「実は大声を上げ続けているものの、だれもその声を聞こうとしないことが問題なのだ」なのだと。複雑で正答の出ない問題ですが、まずは本書にエッセイを寄せた18人の作家たちの声を聞くことから始めることをお薦めします。
3.タラント(角田光代)
『源氏物語』の現代語訳という大仕事を成し遂げた著者の5年ぶりのオリジナル小説は、40代を目前にして無気力な中年女性になってしまっていた主人公の再生物語でした。彼女はなぜ、学生時代に参加したボランティア活動から身を引いてしまったのでしょう。彼女が単純な正義感から犯してしまった「過ち」とは何だったのでしょう。戦争で片足を失い今は実家に閉じこもっている90代の祖父・清美と、東京パラリンピックを目指す若い女性アスリートの不思議な交流は、彼女の心にふたたび灯を灯してくれるのでしょうか。ごく普通の、多くの人たちに読んで欲しい作品です。
【次点】
・李王家の縁談(林真理子)
・燕は戻ってこない(桐野夏生)
・無情の月 上(メアリ・ロビネット・コワル)
・無情の月 下(メアリ・ロビネット・コワル)
【その他今月読んだ本】
・蹴れ、彦五郎(今村翔吾)
・ケルトとローマの息子(ローズマリー・サトクリフ)
・菊籬(宮尾登美子)
・華に影 令嬢は帝都に謎を追う(永井紗耶子)
・6時間後に君は死ぬ(高野和明)
・黄金の騎士フィン・マックール(ローズマリー・サトクリフ)
・骨灰(冲方丁)
・「エンタメ」の夜明け(馬場康夫)
・過ぎ去りし世界(デニス・ルヘイン)
・京都伏見のあやかし甘味帖 8(柏てん)
・マイクロスパイ・アンサンブル(伊坂幸太郎)
・とわの文様(永井紗耶子)
・スモールワールズ(一穂ミチ)
・百寺巡礼 第6巻 関西(五木寛之)
・野蛮なアリスさん(ファン・ジョンウン)
2023/9/30