りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

野蛮なアリスさん(ファン・ジョンウン)

女装ホームレスとして街の四つ角に立ち、多くの人に不安な気持ちを起こさせているアリシアが思い出すのは、再開発で消え去ったコモリの町のこと、かつてそこに暮らしていたもののいなかったことにされた人たちのこと、そして貧困と暴力にさらされてきた子供時代のこと。

 

朝鮮戦争で北から逃れてきた孤児であった父親は、誰からも見下された下男として働きながら、なんとか金を掴もうとして生きてきました。成人してようやく家を手に入れた今は、再開発による立ち退き保証金をせしめようとしています。親に殴られて育った無学な母親は、汚い言葉を使ってアリシアと弟を折檻することでしか、自分の感情を表現できません。近隣の人たちも、行政でさえも、DVを受けている兄弟のことは見ないふりをしていますが、臭いものに蓋をしても汚臭は周辺に漂い続けます。そして成長したアリシアが初めて暴力を振るう側に立った時、兄を探して家を出た弟は下水処理場から流出した汚泥に埋もれて死んでしまうのでした。

 

アリシアにとって現実世界とは、理解が及ばない不思議の国でしかありません。自責の念を抱えながら、底の見えない兎穴を落ち続けているようなアリスの現在地は、「暴力と貧困に閉じ込められた世界からは脱却しえない」という悲しいテーゼを象徴しているようです。

 

本書の背景に見えるものは、韓国都市部の大規模開発と不動産投機熱という社会現象です。架空の街であるコモリのモデルはソウルの西のはずれに実在する地域であり、そこに住んでいた1976年生まれの著者は都市開発が進行していく過程の目撃者でもあったとのこと。少数の不動産所有者のみが恩恵にあずかり、圧倒的多数者は不動産価格高騰の犠牲者になってきたという構図は、今も変わっていないようです。

 

2023/9