りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

百寺巡礼 第6巻 関西(五木寛之)

著者がTV企画で全国の古寺を巡礼した記録であるシリーズですが、訪問したことのある寺を中心に順不同で読み進めていました。「人と共に生きる市井の寺と俗世間を遠く離れた山中の寺」を集めたこの巻で訪れたことがあるのは、高野山青岸渡寺粉河寺、四天王寺の4寺です。

 

「第51番 高野山 空海が猟師から譲り受けた聖地」

金剛峯寺奥の院と並ぶ高野山の中核である壇上伽藍の一画に、山王院という神社があります。祀られているのは狩場明神と丹生明神という猟師と水に関係した神であり、空海高野山の先人たちを敬っていたことを象徴しており、明治の神仏分離を生き延びて共存を続けています。このシリーズを「女人高野」と呼ばれる室生寺から始めた著者にとっては、結界の外に位置する女人堂はぜひ足を運びたい場所であったとのこと。

 

「第52番 青岸渡寺 海の浄土と山の浄土のつらなり」

「熊野」は「隈野」。死の国とか異界とされてきた辺境の地。那智の大滝をバックにそびえる鮮やかな朱塗りの三重塔を要する青岸渡寺もまた、那智熊野大社との神仏習合を長く保ってきた寺です。補陀落渡海という浄土へと向かう自殺行の伝統を持つ補陀洛寺もすぐ近くです。

 

「第53番 道成寺 女性の情熱と強さを伝える物語」

安珍清姫」で有名な道成寺には絵巻物語を解説する「絵説き」の伝統が続いていますが、ここは「宮子」というヒロインを生んだ地でもあります。雀がくわえて運んできた美しい黒髪の持ち主を探し出して后としたのは、道成寺の建立を発願した文武天皇だったとのこと。人々を信仰に導く力の源泉が物語であったことを示してくれる寺院です。

 

「第54番 粉河寺 焼き討ちから甦った寺に、なごむ心」

摂津から紀州にかけての地域には、秀吉の紀州攻めで焼け落ちた寺が数多くあります。信長の比叡山焼き討ちに匹敵する法難だったことを実感した寺です。かつて粉河と呼ばれた長屋川に沿った長い参道の両側に建つ大門と中門や、桃山時代に造られた石庭や、本堂や多宝塔は見事ですが、往時には500を超える堂宇や坊舎を要していたとのこと。

 

「第55番 観心寺 心惹かれる三人の足跡が残る寺」

俗世間にある東寺と孤高の聖地・高野山の中間地点である河内長野観心寺は、両寺を行き来した空海にとって重要な寺だったそうです。著者が「心惹かれる三人」とは、空海に加えて、観心寺を開いたとされる役行者と、この地を本拠地とした楠木正成のことです。

 

「第56番 弘川寺 西行役行者を結ぶ山」

西行終焉の地としても有名な弘川寺も、観心寺と同様に葛城・金剛山系の東麓に位置する寺院です。ここも役行者創建の寺であり、著者は時代を隔てた2人の漂泊者に思いを馳せています。

 

「第57番 鶴林寺 勇ましい聖徳太子と愛らしい聖観音

加古川流域には国宝の建物を擁する古刹がいくつかあります。聖徳太子によって建立されたとされ「西の法隆寺」とも呼ばれる鶴林寺の国宝は、本堂と太子堂聖徳太子のイメージを覆す雄々しい太子像や、泥棒に叩かれて声をあげたとされる「あいたた観音」などの仏像も見事です。小野の浄土寺を訪れた時に、ここにも来ておくべきだったとの後悔しきりです。

 

「第58番 亀山本徳寺 往時の宗教都市の面影が生きる寺」

中世に勢いを誇った一向宗の最西端の拠点が、姫路の亀山本徳寺。かつては山科や大阪石山の本願寺と同様に、自治や防衛を意識して濠や壁に囲われた環濠都市であったとのことで、今でも小型の姫路城のような太鼓楼などに、その面影は遺されています。ここも姫路城や圓教寺を訪れた際に、来ておくべきだった寺院です。

 

「第59番 大念佛寺 衆生のもとへ歩み寄る本尊」

日本には主な仏教の宗派が13あるそうですが、その中のひとつである融通念佛宗のことは全く知りませんで知った。それもそのはずでこの宗派は大阪を中心とする関西に一極集中しており、大阪市南東端の平野区にある大念佛寺が総本山だとのこと。開祖の良忍大師は浄土宗の法然より50年、浄土真宗親鸞よりも100年ほど前の時代の人だそうで、念仏系宗派の先駆けと言えるでしょう。仏教を讃える音楽である声明を集大成した人物でもあり、今に伝わる良忍像はまるでシンガーの立ち姿のようです。

 

「第60番 四天王寺 すべてを包みこむ「和宗」の祈り」

何度も再建された四天王寺五重塔も金堂も全てコンクリート造りであり、文化財的な価値はありません。それでも聖徳太子によって建立された日本最古の官寺は、法隆寺よりも長い歴史を持っているのです。ここは全ての仏教宗派を受け入れる「和宗」の寺であり、日本史における宗教界のベストナインのような人々の掛け軸を掲げていることでも知られています。聖徳太子が全ての日本仏教の始祖であり、大阪の庶民たちによって再建・復興を成し遂げてきた寺院であることに思いを馳せざるをえません。

 

2023/9