りぼんの読書ノート

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百寺巡礼 第3巻 京都(五木寛之)

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シリーズ第3巻の「京都」には、さすがにメジャーな寺院が並んでいます。全ての寺院を訪問したことがあるのは、この巻だけです。

「第21番 金閣寺 目もくらむような亀裂に輝く寺」
三島由紀夫の名作の印象が強い寺院ですが、もともとは足利義満が政治の実権を振るっていた山荘です。禅寺となったのは、彼の死後。応仁の乱廃仏毀釈の大波をくぐってきたのは、他の寺院と一緒ですね。

「第22番 銀閣寺 暗愁の四畳半でため息をつく将軍」
将軍としての実権を失い、後継者争いから応仁の乱を引き起こした足利義政が、晩年になって造営を始めたのが銀閣寺。ただし、完成は義政の死後というところにも、悲哀を感じます。思い切りモダンな「銀沙灘」や「向月台」が今の形になったのは、江戸時代後期だそうです。

「第23番 神護寺 二つの巨星が出会い、別れた舞台」
日本の二大仏教の開祖である最澄空海それぞれの、最盛期の舞台となった寺院です。著者は、密教を巡る2人のライバル関係に注目していますが、今では紅葉の名所としてのほうが有名でしょう。京都で一番初めに紅葉する場所だそうです。

「第24番 東寺 空海がプロデュースした立体曼荼羅
「立体曼荼羅」として名高い21体の仏像のうち、なんと15体が国宝。他にも、金堂、五重塔、大師堂などの建造物、空海最澄の直筆文書や数々の工芸品も国宝であり、その豪華さは超絶的。ただ、ここで一番印象に残ったのは、焼損して黒焦げになり国宝解除とされた四天王像でした。

「第25番 真如堂 物語の寺に念仏がはじまる」
衆生、特に女性をお救い下され」との円仁の祈りに頷いたとされる、通称「頷きの阿弥陀」を有する寺院です。浄土宗を開いた法然が、ここに籠って祈願した阿弥陀仏でもあります。紅葉の季節以外は、ひっそりとした寺院です。

「第26番 東本願寺 親鸞の思いが生きつづける大寺」
大著親鸞を著した著者のことですから、思いが深いのは当然でしょう。もともとは親鸞墓所であったため、御影堂のほうが阿弥陀堂よりも大きいのですね。

「第27番 西本願寺 信じる力が生みだすエネルギー」
本願寺の東西分裂は、戦国時代の末期である1603年のこと。背景には、徳川幕府による本願寺教団勢力の弱体化の狙いもあったようですが、もともと分裂状態にあったとのこと。その背景に、武力を備えた一大勢力となった歴史があることは、言うまでもないでしょう。

「第28番 浄瑠璃寺 いのちの尊さを知る、浄瑠璃浄土
京都と言っても、奈良に近い場所にある寺院は、ひとつの独立した小宇宙のようです。中央の池を挟んで、西には九体阿弥陀堂、東に薬師如来が座す三重塔という配置が絶妙です。ここの三重塔は室生寺と同じくらい小ぶりですが、凛としている感じです。

「第29番 南禅寺 懐深き寺に流れた盛衰の時」
足利義満の時代から「五山の上」という別格扱い、家康の側近であった崇伝による復興と、政治的影響力の印象が強い寺院です。琵琶湖疏水水路閣で境内を分断されたのは、廃仏毀釈によって力を失った時のことですが、今ではそれすら観光の目玉になっています。

「第30番 清水寺 仏教の大海をゆうゆうと泳ぐ巨鯨」
北法相宗大本山」を名乗る独立系の寺院であり、今では京都を代表する存在。大正期に管長を務めた大西良慶師の時代から、国際交流、平和運動、文化活動を積極的に行っていることでも知られています。著者は清水寺を巨鯨に例え、「清濁併せ呑むたくましさで、1200年にわたって広く庶民に夢を与え、生きる糧を提供してきた」と評しています。

2015/9