りぼんの読書ノート

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フォレスト・ダーク(ニコール・クラウス)

 

記憶の喪失をテーマとした『2/3の不在』や、記憶が起こした奇跡を描いた『ヒストリー・オブ・ラヴ』の著者が2017年に発表した本書は、やはり記憶を巡る作品でした。イスラエルの砂漠で自身の過去と向き合った中年女性作家と初老の富豪は、ついに出会うことはなかったのですが、

 

ニューヨークで暮らす作家のニコールは著者の分身でしょう。やはり作家であった夫と別れて創作意欲を失い、現実感を失ったままで生きています。彼女が閉塞感から逃れるために向かったのは、幼少期に不思議な体験をしたテルアビブのヒルトンホテルでした。そこで出会った大学の元教授から「イスラエルでのカフカの第二の人生」を書いて欲しいと依頼されたことで、夢と現実が交錯していきます。カフカは1923年にウィーンで亡くなったのではなく、イスラエルに渡って文章を書き散らしながら余生を過ごしたのでしょうか。

 

一方でニューヨークで弁護士として成功してきたエプスティーンは、高齢の両親を相次いで亡くしたことから、盤石なはずの人生に疑問を感じ始めます。仕事にも趣味にも精力を注ぎ人生を謳歌するうちに、なにか大事なものを見落としてきたのではないかと不安に苛まれてしまうのです。すべてを捨てて生まれ故郷テルアビブへと旅立った男は、古代に失われたイスラエルの森林再生と、聖書のダビデ王の生涯を再構築する映画制作に没頭したあげくに、消息を絶ってしまいます。

 

『フォレスト・ダーク』というタイトルは、ダンテの『神曲-地獄篇』の「人生の旅の半ば、気づけば暗い森のなか」という一節に由来するとのこと。人生の転機を迎えた2人はともに暗い森の中で、自分自身の過去と向き合うことと、民族の過去に固執することを混同してしまったのでしょうか。しかし本書の読後感は決して暗くはありません。主人公たちを暗い森の中に追い込んだ著者は、彼らの試行錯誤を描く中で「自分自身の現実」を取り戻していったように思えるのです。

 

2023/3