りぼんの読書ノート

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風景との対話(東山魁夷)

もともと「東山魁夷画文集(全10巻)」の第3巻であった「風景との対話」が、新潮選書の1冊として出版されたものです。氏が生涯の大半を過ごした市川市に建てられた「東山魁夷記念館」を訪れた頃に、原田マハさんがTV出演したおりに推薦していたのを聞いて、読んでみました。

 

1908年に横浜で生まれてすぐに一家は神戸に引っ越し、18歳の時に両親のもとを離れて東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。在学中に帝展に入選し、卒業後すぐにドイツ留学を果たした氏の略歴を見る限りでは「美術エリート」。しかし当時次々と家族を失い、本人も戦争末期に召集された頃を、氏は「暗い谷間」と呼んでいます。そんな人生の霧を晴らしてくれたのは、「残照」として結実した鹿野山の風景だったようです。やがてその行程はひとすじの「道」となりました。

 

自然との対話を通じて自己の天職を見出して日本画に新境地を開いた氏は、本書の中で自身の内面を語り尽くしています。氏が追究した日本美について多くが語られる中で、日本よりもはるかに徹底して自然と向き合った西洋の風景画との比較も興味深いものでした。清らかな川の流れる森の中に建つ簡素で清浄な伊勢神宮は、大理石の円柱が丘の上にそそり立つパルテノン神殿とは明らかに対照的です。自然を征服するのではなく、自然との調和を求める精神的風土を育んだのは、やはり日本の自然なのでしょうか。優しい白群青や群青である瀬戸内海の青色は、コバルトやウルトラマリンの地中海とは異なるように。

 

しかし1960年に日本美の集大成ともいえる東宮御所壁画「日月四季図」を書き上げた氏の思いは、「暖かい心のままで厳しくありたい」と変化していきます。北国の自然を題材とするようになり、ついには北欧へと向かうのです。氏は精神的遍歴の第一主題が「東と西」であるなら、第二主題は「南と北」であったと述べています。「死を認識することで生の映像を見た」氏としては、北方が象徴する死の世界は、つきつめて見ておくべきものだったのでしょうか。

 

1967年に出版された本書は、北欧から帰国して、やがて皇居新宮殿の大壁画「朝明けの潮」として結実するであろう、日本各地の波の絵を描くところで終わっています。ドイツ再訪や、中国への旅、さらには唐招提寺へと続く道筋は、続巻で綴られるのでしょう。少し時間をおいてゆっくり読んでみたいと思います。

 

2023/3