りぼんの読書ノート

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魂の沃野(北方謙三)

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『大水滸(全51巻)』を17年かけて書き上げた著者が次に挑むのは、多くの読者の期待と想像通り「テムジン」の物語だそうです。その前に「日本史を取り込んだ最後の小説」のテーマとなったのが、加賀の一向一揆でした。『楊令伝の序盤(第3巻第4巻第5巻)』で、方臘の宗教反乱の非人間的部分をまざまざと描いた著者は、日本の宗教反乱をどう描いたのでしょう。

主人公となるのは、加賀の山奥で所領を継ぐことになる地侍の総領息子の風谷小十郎です。みずみずしい感性と戦略的視点を有する青年は、本願寺蓮如上人と守護の富樫政親の間で揺れ動きます。蓮如の信仰には素朴に共感できるものの、門徒たちの原理主義には違和感をぬぐえません。一方で政親の秩序回復の志には同意できるものの、強権的な行動には首をかしげるのです。

物語が進むに連れて、著者が「沃野」という言葉をタイトルに用いた理由がわかってきます。小十郎の周囲に集まる「山の衆」「河原の衆」「革の衆」らは、加賀の自然の豊饒を体現する存在というだけではありません。小十郎の最後の決断は、肥沃な郷土に対する思いに突き動かされてのものだったのですから。京の室町幕府に入れ込んで加賀に重税を課した政親は、自然と共に生きる民衆や地侍から遊離してしまったわけです。

著者が描いた日本の宗教反乱は、自然崇拝の念とともにある日本的なものでした。戦場に響き渡る念仏はあっても、それを全てとしなかったあたりが、南宋の方臘の乱とは決定的に異なっていますね。一昨年夏に旅行した手取川流域にあった「一向一揆歴史館」と加賀一揆の終焉の地「鳥越城」のことを思い出しながら読みました。

2017/5