りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ミルクマン(アンナ・バーンズ)

2018年のブッカー賞を獲得した本書は、密度の濃い作品でした。内容もそうなのですが、380ページあまりの本書を開くと文字がぎっしり埋まっているのです。ひとつひとつの文章が長く、行かえもほとんどないのですから。それでも本書は、読者に一気読みさせてしまう迫力を持っているのです。

 

都市名は明らかにされていませんが、物語の舞台は1970年代のベルファスト。政治と宗教をめぐる暴力的な対立が街を二分し、自爆テロ、道路封鎖、スナイパーによる射殺、密告、リンチ、誘拐、拉致監禁などが日常的に発生していた時代。ある日、18歳の主人公が本を読みながら歩いているところに、車を運転しながら近づいてきたのがミルクマン。彼女は、反体制派の大物と言われている40代の男性にストーキングされてしまったのです。

 

ミルクマンは彼女に指一本触れてこないのですが、旧弊な思考に支配されているコミュニティは彼女を放っておいてくれません。彼女が16歳の時から結婚を迫っている母親をはじめ、誰もが彼女をミルクマンの情婦となったと決めつけ、非難してくるのです。身体的な暴力が日常である世界では、精神的な暴力など認めてもらえなくなるのでしょうか。やがて反体制派と見なされた彼女自身にも暴力の手が伸びてきて、心身ともに壊れそうになってしまうのですが・・。

 

本書は20年後に主人公が当時を振り返る形式で綴られていますが、地名と同様に、登場人物の誰一人として名前を持たないことが物語の閉塞性を増幅しています。全てをセックスを結び付ける義兄その1、テロで殺害された元カレを引きずる一番上の姉、ケンカとスポーツにしか興味を持たない義兄その3、自動車マニアのメイビーボーイフレンド、彼女を実際にレイプしようとするサムバディ、さらには奇人変人と見なされている社会問題系の女たちや毒盛りガールや原爆坊やたち。歩きながら読書する変人と見なされていた主人公も、もともとコミュニティの正規メンバーとみなされていなかったのでしょう。

 

ミルクマンが消えた後も、決して世界は主人公に優しくはありません。それでも少しだけ明るくなった世界には、彼女が生きていく場所ができたのかもしれません。「読むこと」と「語ること」は救済なのです。

 

2023/2