りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

無月の譜(松浦寿輝)

主人公の竜介は、年齢制限に掛かってプロ棋士となる夢を叶えられなかった元奨励会員。26歳にして一般企業に就職したものの、まだ失意から立ち直れ切れていません。そんな竜介は、南方で戦死した大叔父の岳史が生前、将棋駒を製作する駒師をめざしていたとの噂を聞きつけて関心を抱きます。ようやく探し当てたのは、かつて駒師の弟子として大叔父の先輩であったという偏屈者の老人。彼によると、大叔父は「玄火」なる号で「無月」という新書体を編み出そうとしていたものの、出征の際に全てを焼き捨ててしまったというのです。

 

「黒い炎」による「見えない名月」には、どのような心情が込められていたのでしょうか。そして大叔父が遺した唯一の生きた証であろう「無月の駒」は見つかるのでしょうか。竜介はかすかな手がかりを追って、東京からシンガポール、マレーシア、そしてニューヨークへと向かうのですが・・。

 

本書は夢破れた竜介の再生の物語です。彼の心をほぐしてくれたのは「無月の駒」の存在そのものではなく、彼が最後にたどり着いたブルックリンの将棋クラブで、純粋に将棋というゲームを楽しんでいる少年少女たちの姿だったのでしょう。藤井総太ブームに沸く将棋界に託して、将棋の駒がたどった運命に人生をなぞらえた秀作です。

 

ところで本書は1999年の物語として語られています。1990年代の半ば以上をシンガポールで暮らした私にとっては、帰国した年にあたります。当時のシンガポールの様子はまだ鮮やかに覚えているのですが、もう「昔語り」の対象となっていることに少々意表を衝かれました。20年以上前のことだから、当然なのですけれどね。

 

2023/2