りぼんの読書ノート

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緑の天幕(リュドミラ・ウリツカヤ)

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スターリンが亡くなった1953年に10歳だった著者が、同世代の男女を主人公として描いた大河小説です。中心になるのは、幼馴染である3人の男性たち。写真好きで地下出版に関わり、やがて亡命することになるイリヤ。繊細な詩人の感性を持つユダヤ人孤児のミーハ。ピアニストを目指しながら指を怪我して挫折するサーニャ。彼らが国語教師の影響から「自由思想」に惹かれるようになり、パステルナーク、ナボコフソルジェニーツィンなどの地下出版小説によって人生に影響を与えられたことは、著者自身の経験と重なっています。

 

そこに、正義感に溢れる優等生オーリャ、生理学者となるユダヤ人のタマーラ、苦学の末に密告者の役人の妻となるガーリャという3人の少女たちが加わり、時に交差して時に離れる6人の人生を中心として、さまざまな人間模様が描かれていきます。時間の流れも一方向ではなく、脇役となる人々を中心とする章も多いので、本書は大河というよりも、32編の連作短編として読むほうが理解しやすいかもしれません。

 

とりわけ印象的な2つの章を紹介しておきましょう。ひとつめは、オーリャの生涯を概括した「緑の天幕」。すべての面で恵まれた少女がイリヤと出会って反体制運動と関り、身も心もボロボロになりながらも心穏やかにこの世を去る物語、もうひとつはミーハの悲劇を描いた「イマーゴ」。妻子を持ちながらも最後まで人間として成熟することなく、巻き込まれた事柄に振り回されたあげくに自死に至る物語。「イマーゴ」とは「成虫、成体」を意味する生物学用語だとのことです。

 

全ての章から「強権的な国家に対する抵抗」というテーマが浮かび上がってきます。体制派も反体制派も押し流していく強大なシステムから抜け出すための拠り所となるのは、文学、音楽、芸術、哲学、宗教などの「文化」なのでしょう。以前から個人崇拝復活の機運を危惧している著者は、本書について「ソビエト時代を良い時代だったと懐かしむ人々への警告」と語っています。80歳近くなっている彼女が、プーチンウクライナ侵攻に対して声をあげるのかどうか、気になっています。

 

2022/3