りぼんの読書ノート

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とりあえずウミガメのスープを仕込もう。(宮下奈都)

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婚約を破棄された女性が料理によって救われる『太陽のパスタ、豆のスープ』や、小さなレストランを舞台とする連作小説『誰かが足りない』で、さまざまな料理を美味しそうに描いた著者ですから、さぞ料理が上手な方だろうと思っていました。本書を読んで納得。著者は長年主婦として、家族のために丁寧に食事を作ってきた方だったのです。

 

本書は主婦向けの生活情報誌である「ESSE」に、2011年9月から2018年12月まで連載されていたエッセイを纏めたもの。その間、北海道のトムラウシに1年間移住したり、本屋大賞を受賞したりとさまざまなことがあったのですが、一番大きな変化が子供たちが成長したことでしょう。連載開始時点では小学生だった長男は大学生となって家を離れ、幼かった末娘は中学生になって母親の手伝いをするようになっています。つまりこのエッセイが連載されていた7年間は、人生の中で一番、家族のための炊事が多忙を極めた時期だったはず。

 

しかしそのことが逆に、食に関するこのエッセイを豊穣なものとしているのです。料理を通して見えてくるのは、家族への愛情なのですから。著者は炊事に割くのは1日1時間と決めて執筆時間を捻出したそうですが、「毎月一回食べもののことを書く。食べることと書くことが、拠りどころだった気がする」とも述べています。おそらくそれは家族のことを思い遣る時間でもあったのでしょう。強く印象に残ったのは美味しそうな料理ではなく、幸せそうな料理だったのですから。

 

ひとつだけ意表を突かれた「まずいごはん」というエピソードを紹介しておきます。まずかったごはんのことを「思い出すだけで楽しい。どんなにまずかったか、語りたくてたまらなくなる。記憶に残るほどまずい食事って、実はとても貴重な体験なんじゃないだろうか」との著者の言葉に、深くうなずいてしまいました。自分の記憶を振り返っても、本当にその通りなのです。なお、ラストにつけられた「うみがめのスープ」という書下ろしの短編は、著者のデビューの頃を思わせる初々しい作品でした。

 

2021/11