りぼんの読書ノート

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菊亭八百善の人びと(宮尾登美子)

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江戸時代の初期に創業し、江戸の風流を極めて随一と言われながら戦争によって店を閉めていた料理屋・八百善が、店の再興を決めたのは昭和26年のことでした。9代目夫人だった栗山恵津子が八百善の味と歴史を綴った『食前方丈』は、先代から店の再興を告げられる場面で終わっていますが、実際の彼女の苦労はそこから始まったわけです。まさにその場面から始まり、再興なった永田町店が閉店に至るまでの8年間を描いた本書は、著者が親交を結んでいた9代目夫人に捧げられた作品なのでしょう。

 

主人公の汀子のモデルはもちろん恵津子です。深川木場の材木商の家に生まれた汀子は、兄の友人であった八百善8代目の次男・福次郎と結婚。下町育ちの汀子は、山の手の上流階級の大家族である八百善一族との同居に苦労する一方で、誰もが浮世離れした狭い世界で生きているように思えて仕方ありません。はたして生活感のないまま9代目を継ぎ、永田町店を任された福次郎は、脆さを見せてしまいます。一族が貯えた膨大な書画骨董を売り払いながら放漫経営を続ける一方で、浮気や隠し子などの問題を起こして、従業員からも見放されてしまいます。

 

そんな永田町店を8年間も支え続けたのは、もちろん汀子です。右も左もわからない世界で、女将ではなく女中としての扱いで店に入り、自分勝手な先代や夫の不貞や古参従業員の確執にも悩まされ、最後には嫁の身で店を閉めることを決断するに至るという半生は、その表面だけ見れば辛くて厳しいもの。しかし後に10代目を継いで新店舗や新事業を起こす息子を育てあげた女性は、最後まで明るいのです。ともに店を支え続けた板前の小鈴への淡い想いは、物語に色を添えるためのフィクションでしょうが、最終章のタイトルが「夢ある閉店」となっているのは決して強がりだけではありません。「土佐の強い女」を描いてきた著者が描いた、「明るく軽い江戸っ子」の物語です。

 

2021/9