りぼんの読書ノート

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じい散歩(藤野千夜)

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認知症が進む老妻を介護する老人」というと、老老介護をテーマとするシリアスな作品のように思えますが、「飄々としたユーモアと温かさ」が伝わってきます。89歳になってなお人生を謳歌している主人公の新平のキャラに負うところが大きいようです。小さな建設会社の元経営者ということもあって、趣味の散歩に出かけるたびに名建築を眺めては喫茶店でひと休み。ついでに何かおいしいものを食べてくる。さらに以前は事務所であった「趣味の部屋」には約30年間ためたヌード写真集やエロ小説がぎっしり積まれているという、かくしゃくとした爺さんなのです。

 

しかし家族の実態は安心できるものではありません。昔の浮気のせいで妻からは今でも「女がいる」と疑われているのはともかくも、50歳をすぎた3人の息子たちは普通ではないのです。長男は長らく引きこもり、気の利く次男は自称「長女」のゲイで、事業をおこしては失敗してばかりの3男は借金まみれ。孫もいないので家族は次世代で絶えるわけですが、両親の墓の心配など誰もしてくれない状況。それでもこの家族がなんとなく楽しそうに見えるのは、仲が良いからなのでしょう。

 

新平は散歩をしながら、自らの過去を振り返ります。戦争中だった子供時代のこと、和菓子屋を営む実家を飛び出して建設会社に勤めてから独立したこと、夫婦の出会い、子育ての苦労、仕事での挫折、それでもバブル崩壊期を生き延びた会社を70歳を過ぎてから畳んだこと、姪の不幸な結婚のこと・・。そういった山あり谷ありの道を何とか歩いて来て、いつか歩けなくなる日がくることはわかっているけれど、今日もまたどこかに散歩に行く。

 

こういう晩年も悪くないと思わせてくれる、人間賛歌に満ちた作品でした。かつてのTV番組をもじったタイトルなので、どうしても亡くなった俳優さんの顔が浮かんできてしまうのは、仕方ありませんね。

 

2021/9