りぼんの読書ノート

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理不尽ゲーム(サーシャ・フィリペンコ)

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ベラルーシという国について、私たちは何を知っているでしょうか。旧ソ連邦の一員であり、ソ連邦が崩壊した1990年に共和国として独立。スラブ系のベラルーシ人と東方正教会の一員であるベラルーシ正教会が80%以上を占めるものの、隣国ウクライナと異なって民族主義的な意識はそれほど高くなく、今でもロシアを兄国家として良好な関係を維持している国。しかし現代のべラルーシは「ヨーロッパ最後の独裁国家」として西側諸国から厳しい非難を受けているのです。その元凶は、1994年以来30年近くも独裁政権を敷き続けているルカシェンコ大統領。憲法を変えてまで多選を繰り返し、全議席を与党が得るという不公正な選挙を堂々と行って民主派・反体制派を弾圧し、恣意的な政策のせいでロシアの援助なしには経済は回らないほどの慢性的な不況にも苦しめられています。近年では美人が多い国として注目されているようですが、著者によるとこれとても「最後の外貨獲得手段であるセックス・ツーリズム」にすぎないとのこと。

 

本書の主人公ツィスカは、音楽専門学校に通う17歳のツィスク。ごく普通の青年だった彼は、1999年に群衆が地下鉄駅に殺到したせいで53人が命を落としたという実際に起こった事故に巻き込まれて頭部を負傷。昏睡状態に陥ります。医師は早々と匙を投げ、実の母も次第に彼の回復を諦める中で、ただひとり祖母だけが献身的に世話を続けます。そして10年後、祖母が亡くなった2日後に奇跡が起こってツィスクは意識を回復。しかし彼の目に映るベラルーシは、10年前と何も変わっていません。人々が期待をかけた2010年の大統領選挙で対立派のジャーナリストが殺害され、選挙後に街に集まった人々が次々に逮捕されていく現実を見て、恐怖と失望を覚えたツィスクは国を出る決意をするのですが、さらなる悲劇に襲われてしまうのでした。

 

主人公の10年間にわたる昏睡状態は、ナチス占領下のダンツィヒで成長を止めていた『ブリキの太鼓』のオスカルに重なります。1984年にミンスクで生まれた著者の憂いは、そこまで深刻なのです。「ぼくが生まれ育った国があるとき昏睡状態に陥り、まったく目を覚ます気配がないかのように思われたのはどうしてなのか」という問題意識に基づいて書かれた本書が「いつかきっと時事性を失うことを心から願う」との序文は、まさに心の叫びなのでしょう。

 

2021/8