1988年にチリのサンディエゴで生まれた若い著者は、1990年にピノチェト時代が終わって民政に移管された後の時代を生きてきたわけです。だから彼女は、政治的な民主化の背後で、貧富格差の拡大をはじめとするさまざまな問題が噴出してきたことにも敏感です。両親の世代が、独裁政治がもたらした経済成長を懐かしむ声も聴いているのでしょう。本書は伝統的な南米文学とは異なり、日本や他の国々とも決して無縁ではないテーマを扱っている「世界文学」なのです。一読しただけでは理解が及ばない説明不足感も魅力です。
「恥さらし」
失業してから生気を失ったハンサムな父親のために、求人広告の切り抜きをはじめた9歳の少女。しかし彼女は、警備員や運転手や事務補佐の職が並ぶリストが、どれほど父親を傷つけていたのか気付かなかったのです。そして広告代理店のオーディションに向かうのですが・・。
「テレサ」
彼女がアバンチュールを期待する時に偽名を使うのは、子供の頃に迷子案内所で親友の名前を名乗った体験と関係があるのでしょうか。考えなしにつかれた子供の嘘なら、やがて大人によって訂正させられるものなのですが。
「タルカワーノ」
イギリスのロックバンドに憧れて教会の楽器を盗み出そうと企み、少年は日本古来のニンジュツ修業を始めました。しかし自分の家に忍び込んだ少年は、狂言自殺をたくらんで漂白剤を飲み、意識不明状態になっている父親を見つけ出すのです。
「フレディを忘れる」
いつも自信たっぷりだった男と別れて母のマンションに戻った娘は、いつまでも浴槽につかって、いったい何を忘れようとしているのでしょうか。「フレディ」とは「エルム街の悪夢」に登場する殺人鬼のことなのですが。
「ナナおばさん」
未婚のまま年老い、妹の家に同居して姪たちの世話をしていたナナおばさんの生き方を軽蔑していたのは、17歳のころの自分でした。それから20年がたって彼女は、「世界を打ち負かして無傷でいられる」と信じていた「あのころのわたし」の滑稽さを懐かしく思うのです。
「アメリカン・スピリッツ」
3年前にウェイトレスのバイト仲間だった女性と再会した主人公は、無邪気で臆病だと思っていた同僚の意外な打ち明け話を聞かされます。そして彼女は、自分が葬り去っていた記憶のことまで思い出してしまうのです。
「ライカ」
言葉巧みで不実な恋人と海辺にUFOを見に行き、初体験をした少女の話。世界ではじめてスプートニク2号で宇宙を飛び、宇宙で死んだ犬ライカは雑種犬だったそうです。ちょっと微妙すぎて理解が難しい関係かも。
「最後の休暇」
美しい伯母と従姉たちの家ですごした10歳の夏休みの思い出は、彼に生涯つきまといます。休暇地でできた友人に、伯母と従姉を、母と姉だと言ってしまったのです。休暇から戻った彼が、家庭裁判所の意向に反して責任を果たしていない母親のもとに留まったのは、その後ろめたさからだったのでしょうか。。
「よかったね、わたし」
1人称で語られる女学生の過去と、3人称で語られる図書館勤めの女性の現在が交互に語れらますが、この2人は同一人物ではなさそうです。2つの物語を繋ぐのは、女学生が傷つけた親友と、図書館務めの女性が軽蔑した上階の女の名前がどちらも「カロリーナ」ということでした。彼女は、自分で決断して失敗した人生の現状を受け入れようと決意するのです。
2021/8