りぼんの読書ノート

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バンディーニ家よ、春を待て(ジョン・ファンテ)

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「イタリアの安い赤ワイン」を意味する『デイゴ・レッド』は、著者の実体験をベースに置いた短編集でしたが、こちらは短編で描かれたテーマを有機的に関連付けた長編です。著者の分身であるアルトゥーロ少年のひと冬の物語には、著者が生涯のテーマとした「イタリア移民、カトリック、家族」というテーマがぎっしりと詰まっているのです。

 

アルトゥーロの14歳の冬は散々でした。例年にも増して雪の日が多かったコロラドでは、イタリア移民でレンガ積み工の父親ズヴェーヴォには仕事がなかったのです。荒れる父親に対して、母親マリアはあまりにも無力です。それに加えて父親が家にお金を入れないために、3人の息子たちに食べさせる食料も、厳しい冬を生き延びるための石炭も満足に買えません。そして父親は、ある日突然に家を出たまま帰ってこなかったのです。アルトゥーロの悩みはそれだけではありません。母親が大切にしていたカメオを盗み出し、ずっと好きだった同級生のローザにプレゼントしたものの、突き返されてしまいました。そして新学期が始まった日のクラスにはローザの姿はありませんでした。

 

デイゴ・レッド』の各短編からは、粗暴で家庭を顧みない父親への怒りや軽蔑が、敬虔で哀れな母親への愛情や憐憫がストレートに伝わってきましたが、息子の両親への想いはもっと複雑であったことがわかります。男前で自信家で女性にもてる父親に対しては憧憬の念を抱いてもいたようです。冒頭でズヴォーヴォに「家に帰ることにいったいなんの意味がある?」と語らせたことは、父親の気質を多分に受け継いでしまった著者の本心であったのかもしれません。

 

その一方で運命の前に立ちすくんで祈ることしかできず、父親不在の家の中を暗く陰気にしていた母親に対しては軽蔑の念を抱くこともあったわけです。とはいえ著者もやはりイタリア系アメリカ人であり、母親マリアに聖母の姿を重ね合わせていることは言うまでもありません。もちろん家族で囲む食卓も重要です。春になって妻への愛情と家族への責任を思い出し、迎えに来た息子とともにようやく帰宅する父親を待っているのは、母親が作る温かいスパゲッティなのですから。より成長した時代の自伝的な要素を多く含む第2長編『塵に聞け』も読んでみたくなりました。

 

2021/5