りぼんの読書ノート

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犬と負け犬(ジョン・ファンテ)

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本書が、著者の自伝的小説の最後の作品になります。粗暴で昔気質の父親に苦しめられた『バンディーニ家よ、春を待て』の少年は、『塵に訊け』ではサンフランシスコで作家の卵となり、『満ちみてる生』ではハリウッドの脚本家となって父親となります。本書ではいきなり50代半ばとなっていますが、これには理由があるのです。著者は何年もの間、小説の執筆から遠ざかっていて、「セックス&バイオレンス」に満ちた映画やドラマのシナリオを書いて糊口をしのいでいたのです。

 

本書ではヘンリーと名付けられている著者の分身は、「白人でアングロサクソンプロテスタント」の美しい妻ハリエットとマリブの邸宅に住み、息子3人と娘1人の子どもたちを得ています。「カトリックのイタリア移民の息子」時代からは遠い所にたどり着いたようですが、彼の心は敗北感に満ちています。彼が書きたかったものは本物の小説だったのであり、最近ではWASPの美人妻とも4人の子どもたちとも、心を通い合わせることが難しくなっていたのです。父親を憎んでいた「永遠の息子」はいつの間にか夫となり、父親となり、野心を失い、あとは老いを待つばかり。

 

そんなヘンリーもとに巨大な秋田犬が迷い込んできます。しかしこの犬は「だらしなく無気力な最低最悪のクソ犬」でした。そして彼の子どもたちはひとりずつ姿を消していきます。長男は孕ませた黒人女と駆け落ちし、長女は頭がからっぽな元海兵隊員とカナダへと出奔し、売れない役者だった次男は徴兵を逃れて逃走し、最後の期待だった優秀な三男はボランティア活動にのめりこんで大学を中退したところで徴兵されてしまうのです。ヘンリーの傍に残っているのは「スチューピド」と名付けたクソ犬ばかり。彼は家も妻も子供も捨てて、ローマで人生をやり直したいと願うのですが・・。

 

1960年代後半には書き上げられていた本書は出版を断られ続け、著者の死後にチャールズ・ブコウスキーらに高く評価されたことで、1986年にようやく日の目を見たとのことです。2019年にはフランスで映画化され、ついに日本でも邦訳されたわけです。このことを生前に知っていたなら、ここまで「負け犬感」に浸る必要はなかったわけですが、人生とはままならないもの。ちなみに著者は実際に秋田犬を飼っていたそうですが、もちろん名前は「スチューピド」なんかではありません。

 

2021/9