りぼんの読書ノート

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満ちみてる生(ジョン・ファンテ)

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イタリア移民2世として1909年にコロラドで生まれた著者の、自伝的長編の第3作にあたります。前2作の『バンディーニ家よ、春を待て』と『塵に訊け!』ではアルトゥーロ・バンディーニであった主人公は、ここでは著者と同名のジョン・ファンテとなっていますが、もちろんフィクションです。本書が出版されたのは第2作から12年後であり、「忘れられた作家」の著書を売るための作戦として、実名を使うように出版社から指示されたとのことです。

 

第1作では少年であり、第2作では作家志望の20代の青年主人公は、ここではハリウッドの脚本家としてそこそこ稼いでいる30代の既婚男性となっています。妻ジョイスは妊娠しており、家族を苦しめた自分勝手な父親は、れんが積み職人の仕事から引退してサクラメント郊外の村で母親と2人で暮らしており、子供たちから見放されている状態を嘆いているようです。

 

本書の物語は、ジョンの家が白蟻に床を抜かれてしまって、父親に修理を依頼したことで動き出していきます。父と息子の愛憎関係は長い年月を経た後でも複雑なのですから。息子から頼られたことを素直に喜べず、息子を自分の思い通りに動かそうとし、それを拒まれると怒り出したり歪んだ拗ね方をする父親は、、やはり最低な人物です。しかしあらためてそんな父親の姿を見たジョンは、自分はまだ父親となる準備ができていないことを気づかされます。しかも妻は出産前にカトリックへの改修を望み、無信仰になっていたジョンは幼い頃の信仰には戻れないことを思い知らされるのでした。

 

ここでもまた「イタリア、家族、カトリック」という著者の三大テーマが重要な位置を占めているわけです。しかし主人公は成長していきます。「父にも、夫にも、男にさえもなりたくなかった」のに、結局のところ息子の誕生に大きな喜びを感じることになるのですから。もはや彼は永遠の息子ではなく、ためらう父親です。もっとも父親や信仰と和解する感動的なエンディングは小説の中だけのことで、現実の著者は家族を顧みずに無軌道な生活を続けていたそうですから、本書はやはりフィクションなのです。

 

2021/8