りぼんの読書ノート

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騎士団長殺し(村上春樹)

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主人公の「私」は妻に去られた肖像画家であり、施設に入った高齢の日本画家のアトリエであった、小田原郊外の山中にある家に住まわせてもらいながら、自分がほんとうに描きたい絵は何か考えているところ。しかし彼の孤独で静謐な生活は、謎めいた富豪である免色涉の登場で終わりを告げることになるのです。

天井裏に隠されていた「騎士団長殺し」と名付けられた傑作日本画の発見。中から鈴の音が聞こえる石室の発掘。そこから登場した騎士団長なるイデア。免色涉の娘かもしれない美少女まりえの登場と、彼女の失踪。地下のメタファー世界への侵入と脱出。そしてまりえの発見と、妊娠していた妻との復縁。

いかにも「村上春樹」的な構造を有している作品です。すなわち喪失感を抱えた主人公が、何かを探し求める過程で異界へと入り込み、現実世界へと侵入しようとしている邪悪なものと対峙することによって、損なわれたものを取り戻す物語。かつての作品で「やみくろ」や「「綿谷昇」や「父親」や「リトル・ピープル」であったものが、「顔のない白いスバル・フォレスターの男」や「二重メタファー」として再登場しているかのよう。

これを「いつも同じ物語」ということは当たっていません。ジョン・アーヴィングらと同様に「同じテーマ」を繰り返し、異なる角度から掘り返しているということなのでしょう。そして掘り起こされたものは、毎回異なっているのです。

観念である「イデア」と関連性を象徴する「メタファー」については、過去の作品でも触れられたことがありますが、本作ではより重視されているようです。「二重メタファー」が邪悪なものとされるのは、意味を失わせるからなのか。それとも意味を反転させてしまうからなのか。著者がそのあたりを語ってくれることはないとは思うのですが・・。

やはり2部作であった1Q84第3部が翌年に発行されていることを思うと、本書の「第3部」も期待したくなります。できれば父親となった「私」に、これまでの著作でダークなイメージを有していた「父親像」を覆して欲しいものです。

2017/11