りぼんの読書ノート

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献灯使(多和田葉子)

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地震津波原発事故の連鎖で取り返しのつかないダメージを負った日本。総理大臣は行方不明になって民営化された政府は鎖国政策を採り、海外との往来も通信も途絶えています。外来語は禁止されて奇妙な和語に置き換えられ、わずかな太陽光発電に頼るエネルギーは不足しがちで自動車は消滅し、夜間は停電。しかしそんな日本でもまだ、人々は生き延びていたのです。それも奇妙な姿で。 

 

被爆した老人たちは死ぬ能力を失い、100歳を超えても元気で働き続けなくてはなりません。その一方で子供たちは汚染によって虚弱体質者として生まれ、食事能力や排便能力すら保つのが困難な状態。早死にする運命であり、ホルモン異常のせいか性の転換すら起こるようになっているのです。タイトルの「献灯使」とは、日本の子供の健康状態を研究させるために優秀な子供を選んで海外に送り出すという極秘の民間プロジェクト。 

 

主な視点人物である義郎は、鎖国以前から書き続けている100歳を過ぎたベテラン作家ですが、厳しい情報統制のせいでもはや創作をすることはありません。虚弱な曾孫である無名の世話をして、いずれは曾孫を看取ることを覚悟しながら生きています。遠く離れた場所で孤児院を運営しながら「献灯使の会」に関わっている曾祖母の鞠華は、無明には危険な使命を負わせたくないと思っています。しかし無名は幼馴染の睡蓮とともに、献灯使となるべく港へと向かうのでした。 

 

まぎれもないディストピア世界を描きながら、本書にはディストピア小説に特有の悲壮感や諦念はありません。不死の老人たちも、虚弱な若者たちも、この状態を自然に受け入れて淡々と生活しているように思えるのです。著者独特の感性による外来語の和語への転換には、不気味なものも笑えるものもあるのですが、深い信仰を連想させてくれる「献灯使」とは言い得て妙。

 

同じ世界観で綴られた「韋駄天どこまでも」、「不死の島」、「彼岸」、「動物たちのバベル」が併録されています。人間が消えた後の世界で、あるいは人間を懐かしみ、あるいは安堵し、あるいは無関心な動物たちが、結局は文字を導入してバベルの塔の建設に着手するという会話劇「動物たちのバベル」が印象的です。 

 

2020/5