りぼんの読書ノート

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口訳万葉集(折口信夫)日本文学全集2

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奈良時代に編まれた日本最古の和歌集である万葉集は、近世以降、契沖、賀茂真淵本居宣長らによって研究・解釈が進められてきましたが、私たちが理解できる「口語訳」を完成させて広く普及させたのは折口信夫の功績でしょう。天皇から庶民までさまざまな人々が詠んだ歌を4500首以上も集めた、全20巻もの大作について簡潔に記すのは不可能ですので、気に入った歌を数点紹介しておきます。

雄略天皇  籠もよ、み籠持ち、掘串もよ、み掘串持ち、この丘に菜摘ます子、家告へ。名告らさね。そらみつ倭の国は。おしなべて吾こそ坐れ。吾こそは告らめ。家をも名をも。
第1巻の巻頭を飾る和歌です。自らが天皇であることを名乗って、堂々とナンパするおおらかさが万葉集の基調となっていることは間違いありませんね。

額田女王」 あかねさす 紫野ゆき 標め野ゆき 野守は見ずや。君が袖ふる
天武天皇」 むらさきのにほえる妹を。にくくあらば、人妻ゆゑに、われ恋ひめやも
これまたおおらかな相聞歌です。天智天皇と交際していた額田女王と、天智の弟である大海人皇子(後の天武)が堂々と不倫の恋を歌い上げているのです。もっともこの2首は宴会でのネタとの説もあるようです。

内大臣藤原卿」 我はもや、安見児獲たり。皆人の獲不敢すとふ、安見児獲たり
誰もが手に入れたいと評判のアイドルだった安見児(やすみこ)を娶った男の、あられもない自慢の歌です。

柿本人麻呂」 秋山の黄葉を繁み 迷わせる妹を求めむ 山路知らずも
柿本人麻呂」 紅葉の散るぬるなべに、たまづさの 使を見れば、逢ひし日思ほゆ
万葉集に90首も収められたスター歌人ですね。超絶技法を駆使して「ひんがしの」とか「あしひきの」など句が有名ですが、ここに記した2首には妻の死に動転した感情がストレートに表現されているようで、心を打たれます。

「有馬皇子」 岩白の浜松ヶが紅を、引き結び、まさきくあらば、復かへり見む
大津皇子」 ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲隠りなむ
それぞれ謀反の罪を着せられて死罪となった皇子たちの挽歌です。悲哀や無念が溢れ出て来るようです。彼らの歌を収めた背景には、無念の中で死んだ魂を鎮める意味もあったのかもしれません。

大伴家持」 秋さらば見つつ偲へと、妹が植ゑしやどのなでしこ、咲きにけるかも
生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる数えたわけではありませんが、「妹」と「なでしこ」の登場数回が多いことに気付きました。妻の大伴坂上郎女万葉歌人ですが、さぞ「やまとなでしこ」だったのでしょう。本書には含まれていませんでしたが、夫との間に「生きてあらば見まくも知らず。何しかも死なむよ妹と、夢に見えつる」などの激情的な相聞歌を残しています。

山上憶良」 吾よりも貧しき人の、父母はうべ寒からむ。妻子どもは乞ひて泣くらむ。(貧窮問答歌より抜粋)
当時としては異色の社会派歌人ですが、万葉集に78首も収められているというのは意外な感もあります。彼もまた、柿本人麻呂大伴家持山部赤人らと並ぶスター歌人だったのです。「貧窮問答歌」も「子を思ふ歌」も、自らの感情がドラマチックに表現されていますが、現代の視点から見るとドラマチックすぎるようにも思えます。

「防人の歌」
わがつまはいたく恋らし。呑む水に影さへ見えて、よに忘られず
筑波嶺のさ百合の花の、寝床にも愛しけ妹ぞ、昼も愛しけ
旅と言へど、真旅になりぬ、家の妹が着せし衣に垢つきにけり
第20巻に多く収められている、無名の防人たちの歌が、万葉集を独特の存在に押し上げています。Wikipediaによると、「防人の歌」の大半が、妻や恋人を思う歌(40.2%)と父母を思う歌(37.8%)で占められているとのこと。子を思う歌が2%程度しかないのは、まだ独身か新婚の若い兵士たちが出征させられたことの証しなのでしょう。

ひとつひとつが独自の世界である和歌の世界は、奥が深いですね。一読してわかったことは数少ないし、ましてや歌の優劣や技巧などは理解の外にある気がします。何度も立ち返って読んでみたい古典です。

2018/2