りぼんの読書ノート

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迷宮の月(安部龍太郎)

白村江の戦いで日本と唐の国交が断絶してから約40年の間、遣唐使は断絶していたそうです。しかし藤原京を造営し、大宝律令を制定して中央集権国家への道を歩もうとしていた日本には、先進国である唐の制度や文化の輸入が不可欠でした。時の権力者であった藤原不比等遣唐使船の復活を決意し、かつて長安で留学僧として学んだ粟田真人に執節使の任を命じたのです。

 

しかし真人に課せられたのは唐との国交回復だけではありませんでした。唐の皇帝と日本の天皇の関係に関わる本質的な大問題を解決するよう、不比等から密命を受けていたのです。唐の冊封体制においては四囲の国々は全て朝貢国なのですが、それは神の子孫とされる日本の天皇制においては認められることではありません。実体は冊封であっても、皇帝から天皇に宛てて発せられる国書の中では両者が対等であると記述して欲しいというのです。完全な二重外交ですが遣隋使の時代からの難問であり、小野妹子煬帝からの返書を百済に盗まれたというのも苦肉の策だったのでしょう。

 

しかも当時の唐は則天武后の簒奪によって周王朝となっており、武周派と復唐派の対立も起こっていたのです。任務に殉じる覚悟であった真人は、則天武后の娘である太平公主の知己を得たものの、複雑怪奇な官僚制をかいくぐって、密命を果たすことができるのでしょうか。著者には、遣隋使の物語である『姫神』、飛鳥から奈良への遷都を綴った『平城京』、阿倍仲麻呂を主人公とする『ふりさけ見れば』などの作品もあります。本書以外は未読ですが、通読することによって古代日本の外交史が浮かび上がってくるのでしょう。

 

なおこの時の遣唐使の一員であった僧・弁正が囲碁の達人として唐皇子・李隆基(後の皇帝玄宗)から称賛されたというのは実話のようです。また真人の従者として山上憶良が同行したのも史実です。遠い異国から綴った家族への想いが、後に歌人として名を上げることに結びつくとの仕掛けには心憎いものがあります。

 

2023/11