題は「遣唐使・平群広成の数奇な冒険」。遣隋使・遣唐使というと思い出されるのは、最初に名前が記された小野妹子、エリート官僚の阿倍仲麻呂、吉備真備、菅原道真、宗教者の最澄と空海、詩人の山上憶良などでしょうか。平群広成(へぐりのひろなり)などという名前など、ほとんどの人が聞いたことがないはずです。私も本書を読むまで知りませんでした。しかし彼は、歴代遣唐使の中で最も過酷な航路を進んだ人物なのです。
733年(天平五年)に第10回遣唐使の大使・副使に次ぐ判官のひとりとして派遣された広成は、幻想皇帝に謁見は果たしたものの、翌年第3船の指揮をとっての帰路で現在のベトナムにあたる崑崙まで流されてしまいます。115名いた乗員は現地海賊の襲撃や風土病で大半が死亡し、生き残った者はわずか4名。いったん蘇州、長安に戻り、北方の渤海経由で739年に帰国するという、足掛け7年に渡る大旅行。
平群氏は大和国平群郡を拠点とする豪族ながら、この時代には中級貴族程度の家柄。広成は唐楽と大和舞の名手だったそうですが、エリート揃いの遣唐使たちの中では目立つ存在ではありません。唐の高級官僚、崑崙の安一族、さらには玄宗皇帝に仕えながら一癖も二癖もありそうな阿倍仲麻呂、新羅と戦争中の渤海王などを相手にし、天下の名香「全浅香」を手にして帰国できた理由は何だったのでしょう。
彼の基本姿勢は、異文化を受け入れ、相手を信じて粘り強く交渉するだけのこと。しかしそれに徹したことで、結果として当時の日本で最も広い世界を見た者になりました。そして唐において序列最下位の日本は、「新羅と渤海のどちらにも与してはいけない」という意見を、聖武天皇に伝えることまでできたのです。
現在の日本人は海外から学ぶとか、海外に出ていくという気概に乏しくなっていると言われています。英語教育でもアジア諸国に追い越されたし、洋書、洋画、洋楽も減っている。TVでも「日本凄い」と「井の中の蛙」状態を肯定化するものばかりで、せいぜいが海外旅行番組程度。本書には「もっと海外に出て、世界の中での立ち位置を知ろうよ」とのメッセージが込められていると思うのですが、いかかでしょう。
2020/4