りぼんの読書ノート

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壁(安倍公房)

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「壁」をテーマとする前衛的な作品が並ぶ、著者初期の中短編集です。「古今東西の作家が壁にぶちかり、あるいは避けたりする中で、安倍公房は壁にチョークで絵を描き始めた」との趣旨で本書を紹介した、石川淳氏による序文も秀逸です。 

 

「第一部 S・カルマ氏の犯罪」 

主人公が目を覚まして感じた違和感は、名前を思え出せないことでした。あろうことか、反逆を起こした名刺が主人公に成り代わってしまったのです。空虚となった彼の胸は、雑誌の砂丘の風景をそっくり吸い取ってしまうほど。唯一彼を認めてくれたタイピストのY子はマネキン人形であり、映画のスクリーンに吸い込まれた彼は、世界の果ての壁へと変形していくのです。カフカの影響が感じられるものの、これは変身物語ではありません。壁の内部も外部も同一の空虚な世界であることに気づいてしまった著者が、そんな世界に抵抗を試みているように思えます。 

 

「第二部 バベルの塔の狸」 

むなしい空想を「とらぬ狸の皮」と呼んでいる貧しい詩人は、奇妙な獣に影を奪われ、目だけ残した透明人間になってしまいます。その獣は「とらぬ狸」であり、彼をバベルの塔へと誘います。そこには人間おかずと同じくらい無数の「とらぬ狸たち」がいて、狸たちに有害であるとする目玉を奪おうとするのですが・・。この場合の「抵抗」は比較的容易かもしれません。タイムマシンさえあればの話ですが。 

 

「第三部 赤い繭」 

帰る家がないまま、自分の身体から延びてきた絹糸に包まれて繭となってしまった男の話である「赤い繭」。労働者や囚人たちが次々と液化して世界を滅ぼしてしまう「洪水」。壁に描いたリンゴで餓死を免れた貧しい画家が、やがて自ら描いたイブとともに壁の絵になってしまう「魔法のチョーク」。食べることを目的として生物を殺すのは罪ではないというキリスト教の教えによって殺人合法化を果たす「事業」の4編。壁の絵となってしまった画家がつぶやく「世界をつくりかえるのは、チョークではない」のひとことが印象的ですが、「ペン」は世界をつくりかえられるのでしょうか。 

 

2020/2再読