りぼんの読書ノート

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物語イタリアの歴史2(藤沢道郎)

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1991年に著された『イタリアの歴史』は、それぞれの時代を象徴する10人の人物に焦点を当てながら、西ローマ帝国が滅亡した5世紀からイタリアが再統一される19世紀までを綴ったものでした。そこでは10カ所の異なる都市が背景になっていましたが、本書はどっしりとローマに腰を据えた作品です。古代ローマ帝国の最盛期からバロック文化が咲き誇った十七世紀までの1500年間を見つめてきたのは、テーヴェレ河畔にそびえるカステル・サンタンジェロ。 

 

もともとサンタンジェロ城は、ユルスナール著『ハドリアヌス帝の回想』で崇高な人物として描かれた哲人皇帝ハドリアヌス墓所として築かれた建築です。西ローマ帝国滅亡後に半島各地に蟠踞した各部族を教化して、西欧世界の観念的統一を保ったのが教皇グレゴリウス。宗教団体が世俗権力を担うようになったことが、後にさまざまな影響をもたらすことになります。その一例が、教皇の愛人として出発し、2人の息子や親族を教皇に立てることで実質的な権力を握ったのがマローツィア夫人 

 

十字軍によってもたらされた合理主義の立場から教会改革を唱えた異端者アルナルドの登場は速すぎたようで、処刑されてしまいます。しかし、イタリア各地で世俗権力を行使した教皇ボニファティウス8世はやりすぎました。フランス王フィリップ4世と対立した結果、アヴィニョン捕囚を招き寄せることになったのです。 

 

教皇がローマ戻った後にも大分裂(シスマ)などで混乱している間に、経済的に発展したイタリア諸都市ではルネサンスの花が咲き誇ります。その最盛期が、フィレンツェ豪華王ロレンツィオ・デ・メディチの時代であったことに異論を唱える人は少ないでしょう。しかし彼らにはどこまで先見性があったのでしょう。ジェノヴァ出身の航海者コロンボ出資したのはスペインであり、大航海時の到来が地中海諸都市から経済的な繁栄を奪っていくことになるのですから。バロック芸術を生み出した画家カラヴァッジョを最後にして、イタリアは文化の主役からも身を引いていくことになります。 

 

幾層にも重なる文化的遺跡がローマの魅力ですが、その背景には複雑な歴史があるのです。 

 

2020/1