りぼんの読書ノート

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襲来(帚木蓬生)

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生涯を日蓮のために捧げた下人の見助は、日蓮の命で派遣された対馬で、蒙古襲来をどのように体験したのでしょう。一貫して見助の視点から描かれた本書は、日蓮宗が生まれた背景であった当時の世相を伝えるとともに、人生においてかけがえのないものを人と人の繋がりの中に見出していく見助の成長物語となっています。
 

 

日蓮の生まれた安房小湊で下人として漁をする孤児の見助は、領主の富木氏から、鎌倉に赴く日蓮に従って鎌倉に行くよう命じられます。鎌倉の松葉谷に庵を構え、市中で辻説法を行う傍らで、「立正安国論」を幕府に提出した日蓮は、その言動の激しさから法難に逢い続けます。当時、貴族から民衆にまで広がっていた法然の専修念仏や、このまま悪法への帰依を続けると内乱と侵略を招くとすると説くのですから、さすがに過激。 

 

しかし日蓮は、モンゴルの侵略によって亡国寸前となっていた大陸や半島諸国の情勢を、いち早く見極めてもいたようです。自身の耳目として見助を対馬に派遣したのは、元寇に先立つこと14年。生きて再び日蓮と再会することが叶わなかった見助は、その後の日蓮の法難、流罪、見延入山などは手紙でしか知り得なかった代わりに、最前線の動向を師に知らせ続けることになります。 

 

慌ただしく往来する蒙古・高麗の使者、ついに来襲した蒙古による対馬壱岐の惨劇、北九州各地の防御体制の強化、再度の襲来と撤退。全てを目撃した見助は、師とは離れていたものの宗教者としての生涯を貫いたと言えるのでしょう。そして師と別れてから22年後、年老いた日蓮と再会を果たすべく、身延へと向かうのですが・・。 

 

『国銅』、『聖杯の暗号』、『受難』、『守教』など宗教に題材を求めた作品のみならず、医学、アフリカ、戦争などをテーマにした作品も多い著者ですが、一貫しているのは「庶民を描くこと」ですね。「虐げられた人々を描くことと、患者を救う道はどこか通じている」と語る著者の面目躍如たる作品と言えるでしょう。日蓮の過激さには少々辟易する点もあったのですが。 

 

2019/10