大阪万博の前後といいますから、1970年ころ。日本が高度経済成長に沸いていた時代に、近江・京都・大和・越前の「かくれ里」を歩いて古典の美と村人たちの魂に深々と触れた紀行文集は、読売文学賞を受賞して、白洲さんの随筆の代表作となりました。
著者の言う「かくれ里」とは、秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所にある真空地帯。人知れずたたずむ寺や、ひっそりと暮らしている集落を訪ね歩いて、仏像や古面や風習や自然の美しさをしみじみと感じ取ることは、なんとぜいたくなことなのでしょう。しかもそこには、古代の天皇から南朝の落人、さらには修験者や密教の修行僧たちが織り成した、歴史の深みも加わっているのです。特に印象に残った白洲さんの言葉をいくつかメモしておきましょう。
木地師には惟喬親王が、吉野川上村には自天王が、湖北・菅浦には淡路の廃帝が、一つの信仰として生きているのはおもしろい。神を創造することが、日本のかくれ里のパターンであることに私は興味を持つ。(湖北 菅浦)
山国に発生した火祭は、形を整えて仏教にとりいれられ、都会に運ばれていった。鞍馬の火祭も、京都の大文字焼きも、もしかしたらそういう人たちが落としていった火種かもしれない。自然の火と水が、火天・水天に化すまでには、どれほど多くの歳月がかかったことか。(山国の火祭)
古い寺にかぎって、古代の信仰と結びついており、これは大変日本的な、おもしろい在り方だと思う。神仏混淆の思想では、天竺の仏が、衆生を救済するために、仮に神の姿に現じて、衰弱したことになっているが、事実はそれと反対で、仏教を広める、神の助けを必要としたのではないだろうか。(宇陀の大蔵寺)先日、葛城の九品寺や一言主神社を訪れた際に、本書からの引用文を用いて紹介されていたのを読んで、この本のことを知りました。ついでに、本書の世界を2000年に映像化した『「かくれ里」を旅する/白洲正子の世界 花の巻・月の巻』まで見てしまいました。1970年の時点で既に「かくれ里」となっていた地域ですが、映像化された時点では、まだ大きく変わってはいないようです。しかし、この後襲ってくるであろう高齢化と過疎化の波は破壊的かもしれません。
2014/7