りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

小説イタリア・ルネサンス3.黄金のローマ(塩野七生)

16世紀ヴェネティアの青年外交官マルコ・ダンドロを主人公とするシリーズ第3作の舞台がローマとなるのは当然ですね。ルネッサンス文人でもあった教皇パウルス3世が、ミケランジェロに命じてシスティーナ礼拝堂に「最後の審判」を描かせ、カンピドリオ広場を再整備させていた時代です。

 

マルコはローマ政界に通じているオリンピアを介して、ミケランジェロ教皇の孫にあたる若きファルネーゼ枢機卿の知遇を得て、ローマという都市を満喫します。古代ローマの皇帝から歴代教皇に至るまで「外国人」をトップに頂いてきたローマは、唯一無二の国際都市だったのでしょう。共和制であっても純血主義を保っているヴェネツィアとも、実力ある外国人は登用されるもののトルコ人支配が絶対的なイスタンブルとも異なる、開放的な空気が感じられたのでしょう。

 

40代になったマルコはオリンピアとの生活を満喫しますが、彼女には悲しい過去がありました。しかしついに立場を超えた結婚を決意した時に、歴史の大波が2人を襲います。プレヴェザの海戦でトルコに敗れたヴェネティアが、再びマルコを必要としたのです。アフリカ沿岸の海賊を利用して海軍を強化してきたトルコに対し、スペインの協力を必要としないと戦争に踏み切れないヴェネティアは、既に大国ではありません。戦闘力を保持しながらも外交力で生き延びていかねばならない国家が必要とするのは、人材ということですね。果たして2人の運命は・・。

 

このシリーズは長らく、本書を最終巻とする「3部作」でした。ヴェネティアの名門貴族の当主となったマルコが、外交官としての資質を成熟させていく過程を描いて終わっていたのです。まさか28年後に続編が出るとは思っていませんでした。新たに書かれた第4部では、困難な時代にヴェネティアの外交を担うことになる。マルコの活躍が描かれるのでしょう。プレヴェザの海戦から33年後にはレパントの海戦が起こるのですから。

 

2022/11再読

小説イタリア・ルネサンス2.銀色のフィレンツェ(塩野七生)

16世紀ヴェネティアの青年外交官マルコ・ダンドロを主人公とするシリーズ第2作の舞台は、フィレンツェへと移ります。ローマの女スパイであったオリンピアとの関係を問題にされて、3年間の公職追放処分となったマルコは、そこでメディチ家内部の暗闘に巻き込まれていくのでした。

 

かつてルネサンス謳歌した花の都は、いまやスペイン皇帝カルロスを後ろ盾にした傀儡国家になり果てていました。メディチ家庶流の出身ながらカルロスの娘を妻としてフィレンツェ侯爵となったアレッサンドロは、親族や有力者を追放して共和制の伝統を踏みにじっていきます。やがて彼は又従兄にあたる族ロレンツィーノ・デ・メディチ(ロレンザッチョ)によって暗殺されるのですが、その動機は謎とされています。

 

本書は暗殺事件の背景を大胆に推理した作品なのですが、マルコの出番はあまり多くありません。フィレンツェ到着直後に起こったアレッサンドロ側近の殺害事件に巻き込まれ、犯人扱いされた宿屋の主人を救ったことや、既に亡きマキャベリの親友であったヴェットーリを交えてロレンツィーノと政治・哲学談義を交わしたことぐらいでしょうか。しかしマルコにとって、領土型帝国の支配下にある共和制都市国家がたどった運命は他人事ではありません。外交官として成熟していくためのステップとはなったのでしょう。

 

フィレンツェで再会したオリンピアは、この事件の報告を最後にスパイ業から足を洗うのでしょうか。マルコの物語の次の舞台は、彼女とともに向かうローマになります。

 

2022/11再読



 

小説イタリア・ルネサンス1.緋色のヴェネツィア(塩野七生)

著者が『海の都の物語』や『東地中海三部作』に続いて1990年前後に著したのが、本書にはじまる「小説イタリア・ルネサンス」シリーズです。長らく3部作でしたが、2020年に第4部となる『再び、ヴェネツィア』が書下ろし新作として出版されたのを機に、本書を再読してみました。

 

イタリア各地で輝かしい文化を生み出した都市国家の時代が終わろうとしている16世紀初頭。東方のオスマン・トルコ、西方のスペイン、フランス、イングランドという領土型国家の台頭によって、通商を基盤とするヴェネツィアの国家運営は極めて難しいものになっていました。コンスタンティノープルは既にオスマンの首都イスタンブールとなって久しく、イタリアへの領土欲を隠さないスペイン王カルロスは、ローマを強略し、今またフィレンツェを包囲していたのです。

 

30歳にしてヴェネツィア元老院議席を得た、名門ダンドロ家の若き当主マルコは、密命を帯びてイスタンブールに派遣されます。そこではマルコの親友である、ヴェネツィア元首グリッティとオリエント女性との間に生まれた諸子アルヴィーゼが、スレイマン大帝の宮廷に深く通じていたのです。若き宰相イブラヒム・パシャを交えた3人は、ヴェネツィアオスマンの共通の利益について激しく意見を交わします。ヴェネツィアの危機を救うには、スペインとオーストリアの両ハプスブルク家の共闘を阻むしかありません。オスマンハンガリー、ウィーン侵攻は望むところなのですが、曲がりなりにもキリスト教国家であるヴェネツィアはそれに公然と賛成するわけにはいかないのです。しかしアルヴィーゼが単独で取った行動は、思いもよらないものでした。

 

当初は「聖マルコ殺人事件」と題された本書は、夜警の不審死からはじまるもののミステリ要素は強くありません。歴史的事件を背景として、個人の生き方を問う作品になっています。時代背景や制度の説明が多く含まれるのは仕方ありませんね。『ルネサンスの女たち』を書いた著者の作品らしく、歴史の影に見え隠れする女性たちの姿も見事に描かれています。ローマ密偵であった高級娼婦オリンピア、スレイマン大帝の寵を一身に集めながら野心を隠さないロクサーヌ、アルヴェーゼへの愛に殉じたリヴィアらの印象も強く残ります。

 

2022/11再読

興亡の世界史12.インカとスペイン帝国の交錯(青柳正規編/網野徹哉著)

インカというと、中世期におけるアンデスの支配者であり、スペインによって征服された先住民族王朝とのイメージが一般的でしょう。しかし文字を有さなかったインカの歴史は、征服者であったスペインのみならず、被征服者であったインカの末裔によっても創作・歪曲されている可能性が強いとのこと。本書はアンデスで交錯したインカとスペインという2つの帝国の歴史を追うことによって、両者の実像を多面的にとらえ直そうという野心的な試みです。

 

インカの王家は12代続いたとされますが、実在が確実視されているのは最後の3人だけのこと。南北に広いアンデスでは各地に独立した文化が営まれており、クスコに発したインカ王朝による統一は1400年以降と見ることが正しいようです。インカがアンデスを支配したのは、征服者ピサロによって最後のインカ王アタウルパが処刑された1532年まで、100年程度のことなんですね。しかも専制的であったインカの支配地では、被征服民族の反乱も頻発しており、スペイン人が登場した時期には、インカは成長の限界に達していた模様。実際、自発的にスペイン人征服者に従った非インカ先住民族も多かったようです。

 

一方のスペインも非寛容な帝国として誕生しました。歴史的な年となった1492年には、グラナダ陥落によるレコンキスタ完了、ユダヤ人追放令の発令、コロンブスによる新世界発見という大きな出来事が立て続けに起こっています。著者は、ユダヤ人排除の思想とアンデス先住民族支配構造は同根であると述べています。それを象徴するのが、大西洋の両端に存在した異端審問所であったとのこと。「スペインに従順な12のインカ王家」も支配のツールとして生み出されたようです。

 

18世紀末になってスペインのアンデス支配は揺らぎ始め、インカの末裔を名乗る者たちの反乱が連続して起こります。最終的には、ナポレオン軍に従軍経験を持つシモン・ボリバール将軍らのクリオーリョ(南米生まれの白人)主導でアンデスは独立を果たす訳ですが、いまなおスペイン支配時代の残渣が南米には色濃く残っているように思えてなりません。アフリカから連れてこられた黒人や、イベリア半島から追放されてポルトガル経由でやってきたユダヤ人や、多くの混血の者たちなど、多様性豊かな社会となることが望まれているのですが。

 

2022/11

中国・アメリカ謎SF(柴田元幸・小島敬太/編訳)

近年盛況である中国SF界は、ケン・リュウ、劉慈欣、郝景芳などのスター作家を生み出しましたが、その裾野は広く、多くの「無名作家」による謎めいた作品も数多く生み出されているとのこと。そしてこれらの「謎SF」の中には、本格SFを凌駕する作品もあるのです。本書は、中国のSF事情に詳しい小島敬太氏と、アメリカも同様であるという柴田元幸氏による、無名の作家たちの短編を集めたアンソロジー。最後の作品を除いて、2作ずつがペアになっているようです。

 

「マーおばさん」ShakeSpace(遥控)

会社からチェックを依頼されたAI試作機は、砂糖をエネルギーとしていました。それは無数の蟻たちが集合した超個体だったのです。伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』に登場するカカシと同様のロジックでしょうか。同じ蟻たちが再構成された個体が、以前とは全く別の「人格」を生み出してしまうことも、興味深い作品です。

 

「曖昧機械」ヴァンダナ・シン

ある時は時空を歪めたり、ある時は自我と他者の境界を曖昧にする仕組みは、複雑なタイルの文様が回路として働いたことによるのでしょうか。全ては曖昧なままに放置されてしまいます。

 

「焼肉プラネット」梁清散

宇宙船が不時着したのは、地表は高温で、大気が薄いために「生存不可」とされた惑星でした。しかし現地生物は食用可能であり、自動的に焼肉となっていくのです。しかし気密服を脱ぐことができない宇宙飛行士は、空腹に耐えなくてはなりません。オチは脱力感100%です。

 

「深海巨大症」ブリジェット・チャオ・クラーキン

行方不明になった夫と息子たちは深海に潜む「海修道士」と共に暮らしていると信じる裕福な妻は、原潜を購入して深海調査隊を送り込みます。海修道士に教皇大勅書を届ける役目を追って乗り込んだ女性は、超深海で何を見ることになるのでしょう。

 

「改良人類」王諾諾

ALSの治療法が開発されるまで冬眠をしていた男は、600年後に目覚めさせられます。遺伝子操作によって、全ての人類が理想的な身体、能力、性格を手に入れるようになってた未来世界でしたが、そこは崩壊の危機に瀕していました。多様性を失った人類は、1種類のウィルスで絶滅してしまう可能性があったのです。

 

「降下物」マデリン・キアリン

21世紀から時空を超えて送り出された女性研究者が見た26世紀の世界は、核戦争によって滅びかかっているディストピアでした。生き残った人類はもはや過去にしか興味がなく、21世紀から残る遺跡にさまざまな解釈を加えていたのですが・・。

 

「猫が夜中に集まる理由」王諾諾

熱的死に向かういつつある宇宙において、エントロピーの増大を少しでも遅らせるために奮闘しているのはネコ族だったのです。並行宇宙を生み出すためにシュレジンガーの箱に自ら入っていく、無数のネコたちの使命感は感動的でした。この著者だけが2篇収録されている理由が理解できる、本書の中で一番好きな作品でした。

 

2022/11

 

京都伏見のあやかし甘味帖 7(柏てん)

30歳を前にして仕事も婚約者も失い、京都伏見で人生休憩中だった小薄れんげ。民泊の家主であった8歳年下の虎太郎と、晴れて恋人同士という関係になったものの、まだ気持ちも暮らしも落ち着きません。大学卒業を控えた虎太郎はデパートの甘味バイヤーを目指して就職活動中ですが苦戦中。不動産屋に就職したれんげは、どうやら「訳あり物件担当」らしく、古い京町家に取り憑く化け物の調査を依頼されてしまいます。実は彼女は、伏見の神狐と人間とのハーフの末裔であり、生まれたての神使である子狐クロになつかれているのです。

 

しかし今回の相手は本気でヤバイ存在でした。会って早々に首を絞められて蛇紋の痣が残ってしまったほど。京町屋にあった祠の神が「三宮様」と呼ばれていたこと、その祠は比叡山の僧兵らによる強訴の神輿が打ち捨てられた場所に建てられたことなどを聞き出し、関係のありそうな日吉神社へ向かったものの、大した収穫はなし。唯一の手掛かりは「あこがめをほり」と謎の言葉を残して消えた女神を垣間見ただけ。困り果てて馴染みの晴明神社を訪ねたれんげは、そこで、日吉神社に祀られる三宮様こと鴨玉衣比売神と、上賀茂神社の主神である賀茂別雷大神が母子関係にあることに気付かされるのですが・・。

 

陰陽師安倍晴明は、師であった賀茂忠行・保憲父子と深い因縁があったのですね。安倍晴明の母とされる葛の葉がキツネであり、賀茂神の神使が八咫烏であることも、両家の仲が悪い原因のようです。れんげは1000年に渡る母神の執念を解くことができるのでしょうか。

 

れんげが垣間見る神々の世界と、無類の甘党である虎太郎の京都甘味所巡りのアンマッチが楽しい作品です。成長しつつあるとはいえ、まだまだ頼りない神使である子狐のクロが2つの世界を繋いでくれています。まだまだ落ち着かないれんげと虎太郎の物語は、もう少し続いていきそうです。

 

2022/11

興亡の世界史11.東南アジア多文明世界の発見(青柳正規編/石澤良昭著)

「東南アジア」という名称は19世紀前半になってから生まれたものだそうです。それまでひとつの地理区分として認知されていなかったのは、東南アジアの各地が、それぞれ異なる世界の辺境だったからなのでしょう。中国に接するベトナムは「華南以南」であり、インドに接するミャンマーは「外インド」であり、インドネシアは「東インド」であり、フィリピンは「南洋」だったのです。

 

それに加えて、東南アジアが纏まって外部世界に大きな影響を与える出来事が、ほとんどなかったことも挙げられます。東南アジア発の戦争や、歴史的事件や、特産物の大量輸出ということは、これまで起こらなかったのです。そして西洋の諸勢力が進出した後も、オランダ領、イギリス領、スペイン領、フランス領、アメリカ領として、東南アジアの諸地域は分割され続けていました。

 

その背景には、山岳や河川や海に隔てられて孤立した地域に、や多様な文化・言語・宗教を有する多様な民族や部族が分散して居住していたことがあげられるでしょう。しかし、熱帯モンスーン地域という共通の自然環境にありながらパッチワークのような多様性を保ちながら共存していたことこそが、東南アジアらしい価値体系なのかもしれません。本来であれば「アセアン」として全世界に発信すべきなのでしょうが、ミャンマーの軍事政権や中国の干渉などに一体化が阻まれていることも事実です。

 

東南アジアの歴史は複雑です。ざっくり言うと、インドの影響を海から受けてボロブドール遺跡をジャワ島に遺したシャイレーンドラ。マラッカ海峡という海上交通の要所に起こったシュリーヴィジャヤ。中国華南の影響を受けた現ベトナム李朝やチャンパ。中国雲南から南下したビルマ族が興したバガンタイ族が興したスコータイ、アユタヤ。そしてインドシナ半島に長く覇を唱えたアンコールということになるでしょうか。

 

中でも9世紀はじめから14世紀までの600年間に26王を立てたアンコール王朝の存在は重要です。しかしながら14世紀半ばにアユタヤ朝との戦争に敗れてアンコール都城は放棄され、16世紀になってスペイン人宣教師によって「再発見」された時には、栄光の歴史は忘却されていたというのですから儚いもの。近年になって往時の政治・経済・文化の研究も進んでいるようですので、東南アジアの歴史は今後も書き換えられていくのかもしれません。

 

2022/11