りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

大丈夫な人(カン・ファギル)

訳者の後書きの冒頭に「女性の日常はスリラーである」という読者の声が紹介されています。平凡な暮らしが突然にして暴力的な世界に変わってしまう恐怖感。そして加害者は愛する者なのかもしれないのです。韓国のフェミニズム小説ですが、このような事件は日本でも、世界中のどこでも起きていることに気付かされる恐怖感は、ホラーでしかありません。

 

「湖-別の人」

親友が何者かに暴行されて意識不明という状況下で、親友の恋人の男性とふたりで、犯行現場であった湖のほとりに遺留品を探しに行く物語。途中で彼女は気づくのです。親友が何かをひどく怖がっていたことに。

 

「ニコラ幼稚園-貴い人」

地元の名門幼稚園に補欠合格した息子を連れて、入園手続きに向かう母親。しかし彼女の回想の中で、彼女自身が何か常軌を逸した劣等感に苛まれていることに気付かされます。そして読者が抱いた彼女への不信は、彼女が信奉する幼稚園に対する不信へと変貌していきます。

 

「大丈夫な人」

来春に結婚を控えた女性は、婚約者とふたりで彼が地方に購入したという家までドライブに出かけます。アメリカ帰りの弁護士である婚約者は、女性にとって雲の上の存在であり、彼にさからうことなどできません。実は数日前、彼女は彼に階段から突き落とされているのです。彼は過失だと言うのですが・・。

 

「虫たち」

ルームメイト募集の広告に応募したふたりの女性は、家主の女性と3人で奇妙な共同生活を始めます。しかしその家には奇妙なところがありました。やがてDVで流産した過去を持つルームメイトが突然姿を消すのですが・・。

 

「あなたに似た歌」

母親と暮らしている娘はステージ4の癌患者です。母娘はどちらもあと一歩で夢を叶えられなかった過去を持つのですが、苦しい日々をなんとか乗り越えようと努力し続けています。しかし娘の癌は肺にまで転移していました。

 

「部屋」

街が廃墟となった理由は原発事故なのでしょうか。そこでの仕事で高賃金を得るために、廃墟の町で暮らし始めた2人の女性は、身体を壊してしまいながらもそこから抜け出せません。2人とも既に絶望に馴染んでしまっているようです。

 

「雪だるま」

死んだ父親からDVを受けていた母親。その母親から虐待されていた兄。母親に置き去りにされた後、兄弟は力を合わせて生き延びていたのですが、兄の恋人の出現で彼らの関係は一変してしまいます。弟の唯一の味方であるという妹は、はじめから存在していないのでしょう。

 

「ダル・マリクが記憶していること」

元恋人どうしの男女は、インドから来ていたかつての知人、ダル・マリクの遺品を受け取るために、迷宮のようなソウルを彷徨います。挿入されるダル・マリクのインドでのエピソードには、階級と差別が目に見える形で存在するインドと、目に見えない形で存在する韓国を比較させる効果があるのでしょう。

 

「手」

夫が単身で海外赴任したため、幼い娘と姑の実家で暮らし始めた女性教師。しかし彼女は地方の因習やしがらみの強さ、村の中での差別構造、娘への悪影響の中で疲弊していくのです。「手」という単語には「悪鬼」という意味もあるそうです。

 

2022/11

マルドゥック・アノニマス 7(冲方丁)

シリーズの舞台となっている「マルドゥック・シティ」の地図がついています。さまざまな勢力の抗争が複雑になってきたことが理由でしょう。地区の配置はかなり異なっているのですが、イメージはニューヨークですね。

 

冒頭いきなり葬儀の場面です。バロットとアビーは、殺害容疑がなすりつけられて怒っているのですが、これはいったい誰を悼むものなのでしょう。その場に颯爽と登場して弔辞を読み上げるのは、市会議員に成りあがったハンターでした。そして物語は、ウフコックの救出劇からこの場面に至るまでの経緯に戻っていきます。

 

殺害されたはずのブルーがトロフィーにされて生きているとの情報を得たウフコックは、ハンター配下から抜け出して独立行動を取る「ガンズ」に潜入。救出に向かったバロットが再び対峙することになったのは、彼女と同等の空間認識能力を備え、彼女を上回る射撃の腕前を有するマックスウェル。2人の対決シーンは本巻のハイライトですね。

 

昏睡状態に陥ったままのハンターは、「シザーズ」の揺らぎを司る少女ナタリアの精神世界に入り込んでいました。シザーズから独立して「円卓」を司るノーマ・オクトーバーが送り込んだ刺客が、かつての敵「カトル・カール」のリーダーであるフリントのバーチャル人格ならば、ナタリアを守るのは父親ディムズデイル・ボイルドのバーチャル人格。ハンターはそこで「シザーズ」にも「円卓」にも属さない第三の道を選び取ることができるのでしょうか。

 

法学生であるバロットは師のクローバー教授に指名されて、オクトーバー社が都市中に蔓延させた薬害に対する集団訴訟の原告側弁護士に選ばれます。法廷で行われる死闘が彼女を一段と成長させることに疑いの余地はありませんが、このシリーズで最も魅力的なのは、「共感能力」で全都市のイコライズを目論むハンターですね。独立勢力としてノーマと手を組んだハンターは、市の頂点に立つ「シザーズ」との全面闘争に入っていきます。戦いの構図は複雑さを増し、新たなギフトの使い手も次々と登場してくる中で、次巻が待たれます。冒頭の葬儀が誰のものなのか、それは勢力図にどのような変化をもたらしたのかが気になります。

 

2022/11

中国・SF・革命(ケン・リュウほか)

近年になって躍進著しい中国SFですが、本書はいわゆる「中華圏SF」のアンソロジーです。ケン・リュウ、郝景芳(ハオ・ジンファン)、閻連科(エン・レンカ)らの中国作家のみならず、イーユン・リーなどの中国系アメリカ人作家の作品や、中国を題材にした日本人SF作家の作品やエッセイが含まれており、多面的ではあるのですが、焦点がぼやけてしまった感もあります。

 

「トラストレス(ケン・リュウ)」

契約条件の執行と支払が自動化された「スマートコントラクト」は、強者の圧力を躱すことで、貧者たちの希望の星になるのでしょうか。

 

「改暦(柞刈湯葉)」

アラビア天文学をベースとした「授時暦」が、元朝によって採用されてしまいます。皇帝の徳や天の意思とは無関係に、ただ正確である暦の出現は、人間の意思を踏みにじるものなのでしょうか。

 

阿房宮(郝景芳)」

実は始皇帝は永遠の生命を手に入れていた。彼の後に続いた全ての王朝を彼の後継帝国と言い放つ始皇帝は、なぜ今になって生命を放棄しようとしているのでしょう。そして彼が最後に訪れた阿房宮とはどのような場所だったのでしょう。

 

「移民の味(王谷晶)」

アメリカで餃子屋を営む中華系移民」の物語だと思っていました。その店が提供しているのが「正統宇都宮餃子」と知るまでは。

 

「村長が死んだ(閻連科)」

ノーベル文学賞候補である著者の作品は、SFやファンタジーとしても通用するのかもしれません。村の独裁者であった村長の死が巻き起こした混乱に始まり、死者たちの魂の叫びに終わる短編は、『愉楽』や『丁庄の夢』と同質の世界です。

 

「ツォンパントリ(佐藤究)」

辛亥革命を成し遂げた孫文が最後に神戸に立ち寄った時に、何が起こったのでしょう。彼は悪魔と取引していたのでしょうか。彼が幻視した未来の麻薬戦争は、中国の阿片戦争の再来なのでしょうか。

 

「最初の恋(上田岳弘)」

祖父が生まれた満州から「満(ミツル)」と名付けられた孫息子が、仕事で旧満州長春に出張。彼が懐かしく思う初恋の思い出は、彼自身のものなのでしょうか。それとも?

 

盤古(樋口恭介)」

中国神話に登場する「扶想の樹」とは、世界の始まりから立っていた言葉の樹。それは実在するのでしょうか。宇宙を彷徨ってきた、情報を保存して伝達する微生物が、言葉を生み出したのでしょうか。

 

「食う男(イーユン・リー)」

文革時代の北京で生まれ、現在はアメリカで創作活動をしている著者が、食にこだわり続けたことで嵐の時代を生き延びた祖父の思い出を語ります。天安門事件後の北京大学に入学して「政治再教育」を受けた著者は、祖父の知恵を理解できたのです。

 

「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら(ジェニー・ザン)」

作家志望の白人男性が、中国系女性の名前を詐称したら、雑誌に掲載されるのでしょうか。有色人種の経験に共感するだけで称賛される白人とは、なんと能天気な人種なのでしょう。

 

「ルポ『三体』が変えた中国(藤井太洋)」

『三体』をアメリカに紹介したケン・リュウの存在は、やはり大きかったのですね。

 

「『三体』以前と以後(立原透耶))」

なかなか図書館の順番が回ってっこないので『三体』は未読ですが、中国SFの水準が「三体以前」から高かったのは事実です。変わったのは世間の評価だけだと思うのですが・・。

 

2022/11

 

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし(エステルハージ・ペーテル)

著者は、ハンガリーの名門大貴族エステルナージ家の末裔だそうです。ハプスブルク家に忠誠を近いことで地位と財産を築いたエステルナージ家は数多くの著名人を輩出し、著者の祖父はハンガリーの首相を務めた人物だとのこと。共産主義政権下では差別や迫害を受けた一族であったことを含め、著者の出自や経歴はハンガリーでは「常識」であるわけです。著者の自伝的要素を含む本書は「難解」に思えますが、ハンガリーにおいてはそれほどでもないのでしょう。

 

「ドナウを下って」との副題を持つ本書は、「プロの旅人」である主人公が、ある雇い主の依頼を受けてドナウ川の源流から河口までを旅する物語。ドイツの黒い森に端を発し、中央ヨーロッパを横断して流れ、やがては黒海へと注ぎ込む大河ドナウの流域には数多くの国家、都市、町村があります。ドナウエッシンゲン、ウルム、レーゲンスブルク、パッサウ、デュルンシュタイン、ウィーン、ブダペストベオグラード、ルセ、トゥルチャ、スリナ・・。

 

旅人と雇い主との電報の応酬の中で、話題は過去と現在を自由自在に行き来します。ハイデッガーヒトラー、リチャード獅子心王ウィットゲンシュタインハンガリーをはじめとする各国の小説家たちなどの実在人物を交えて語られるのは、中央ヨーロッパの多様性と複雑な歴史です。とりわけ後半のドナウ下流地域「貧しいほうのヨーロッパ」の歴史は悲惨です。しかも本書の執筆中に「ベルリンの壁崩壊」という歴史的事件が起こったことで、未来の予見まで含まれていくのです。

 

その合間に、幼年時代に「秘密めいた叔父ロベルト」をドナウ川を旅したエピソードが挿入されることで、ストーリー性が出てきます。主人公はロベルトの影を追い、ロベルトの過去の愛人たちと再会。最後にはロベルト自身とも再会して、彼の正体が明らかになります。ドナウの旅は彼自身の源流を探る旅でもあったということなのでしょう。

 

タイトルの「ハーン・ハーン伯爵夫人」とは、19世紀ドイツに実在した女性作家です。ハイネの詩に登場する夫人は隻眼であるものの、「あらゆることを見抜いてしまうまなざし」の持ち主だとのこと。碩学な著者自身の視点を指しているようです。

 

2022/11

興亡の世界史9.モンゴル帝国と長いその後(青柳正規編/杉山正明著)

16世紀の「大航海時代」に先立つこと250年、13世紀に中華から東ヨーロッパに至るユーラシア大陸の大半を緩やかに統合した「大モンゴル国」は、史上はじめて「世界統一」をはたした国家でした。それまで互いに意識する必要もなかった東アジアとヨーロッパが、中央アジアを介してボーダーレスに繋がったのです。マルコ・ポーロイブン・バトゥータは複数の人物の所業を重ね合わせたものかもしれませんが、聖王ルイから大ハーンへの書状や、オングト族のサウマー使節団の記録などの第一級の資料も数多く残されているのです。

 

そしてモンゴル世界帝国で整備・統合された、「軍事連合体をベースとする多種族複合国家」というシステムが、ユーラシアに共通するスタンダードとなっていったようです。直接の後継者であるロシア帝国オスマン帝国、サファヴィー帝国、ティム―ル帝国、ムガール帝国、明・清帝国はもちろんのこと、モンゴルと接したマムルーク帝国や神聖ローマ帝国も例外ではありません。

 

しかし東西のどちらにおいてもモンゴルの影響は過小評価されているようです。ロシア帝国明帝国も、その勃興期においてモンゴルを敵視し、多民族国家であることを否定しようとする力が大きく働いたことが理由なのでしょう。さらには19世紀ヨーロッパで体系化された「西欧本位の世界史像」が、現代に至るまで支配的であることも大きな理由のひとつのようです。

 

本書はそうした「通念」を覆す試みです。中央アジアに帝国を築いたティムールはもとより、モスクワ公国のイヴァン1世や清朝太祖のヌルハチが、チンギス家の血筋を引く女性を妻に迎え「チンギスの婿」として新興国家の統治を始めたということは「黒歴史」として公言されていません。相対立する数多くの国家に分断されたユーラシア大陸において、未発見・未紹介・未処理の文献・遺跡の調査は困難ですが、国境・人種・宗教を超えた衆知の結集が待たれる次第です。

 

2022/11

逆ソクラテス(伊坂幸太郎)

著者は「子供を主人公とする小説は難しい」と述べています。子供を語り手とすることで使える言葉や表現に限界があるうえに、懐古的・教訓的・綺麗事に引き寄せられがちだというのです。著者自身の中にいる夢想家とリアリストのどちらも満足させる「少年たちの小説」という答えは、本書の中に見出せます。

 

「逆ソクラテス

教師の期待が子供の成長に影響を与える「教師期待効果」という法則があるとのこと。自分の決めつけが正しいと信じている教師の先入観を崩すために、子供たちは作戦を企みます。ダメ生徒と思われていた草壁君の成長は爽快でした。まるで「シェーン」のような、転校を繰り返す安斎君の再登場を期待していたのですが・・。

 

「スロウではない」

クラスで疎外されている村田花と仲良くしている転校生の高城かれんは、前の学校でいじめられて逃げて来たのでしょうか。わざと足の遅いメンバーが集められたリレーで、彼女は思いがけない行動を取ったのでした。この作品を含めていくつかの短編に登場している。著者の小学校時代の担任だった磯崎先生をモデルにした教師が、いい味を出しています。

 

「非オプティミスト

恋人を交通事故で喪ったことで無気力になり、生徒たちからなめられている新任教師を変えたのは、どのような出来事だったのでしょう。相手をみて態度を変えることが悪評を生み、自分に撥ね返ってくるという教えは子供たちの身に染みたことでしょう。

 

「アンスポーツマンライク」

最後の試合で敗れてしまったバスケ仲間は、卒業後に違った道を歩み出しています。でも戦いはまだ続いているのです。生徒という弱者に感情的な恫喝を行うことが指導と思い込んでいるコーチや、逆恨みで他者を傷つけようとする者は、どこにでもいるのですから。

 

「逆ワシントン」

正直に謝って許されたワシントンのエピソードは、完全な作り話のようです。では謝罪を弱さと受け取って、かさにかかって責め立ててくるタイプの人間には、どのように接すれば良いのでしょう。正直に謝る勇気を褒めてくれる大人の存在が求められているようです。

 

2022/11

リボルバー(原田マハ)

パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠冴は、パリの小さなオークション会社に勤務する傍ら、ゴッホゴーギャンをテーマに博士論文を執筆中。日頃は二流以下の出品物しか扱えない会社に、ある日錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれてきます。持ち主の中年女性サラによれば、それはゴッホが自殺に使用したものだというのですが・・。

 

さっそく調査を始めた冴の前に、次々と謎が現れてきます。そのリボルバーは、かつてアムステルダムゴッホ美術館で展示されていたものとは異なっているし、サラと旧知の仲であるオーヴェールの「ゴッホの部屋」館長は、「それはサラが持っているゴーギャンリボルバー」ではないかというのです。ゴッホゴーギャンはアルルで共同生活をしていた時期もあり、仲違いの末に起こった「ゴッホの耳切り事件」の後は顔を合わせることもなかったはずなのに。

 

アルル以降のゴッホは、1年半後に自殺したとされています。しかしサン=レミの精神療養所とパリ郊外のオーヴェールで暮らしたその期間に、数多くの大傑作を生みだしました。一方のゴーギャンは、ゴッホの死の半年後にタヒチに移り住んで独自の芸術世界を切り開いた後に、最後はマルキーズ諸島で病に倒れました。ゴッホの絵が生前1枚も売れなかったことは有名ですし、ゴーギャンの作品も高い評価を得ることはありませんでした。では2人はそれぞれ、失意の中で世を去ったのでしょうか。

 

『楽園のカンヴァス』や『暗幕のゲルニカ』などのアート・ミステリーの第一人者は、ゴッホの死の真相に新たな解釈を付け加えてくれました。そして、新しい絵画の創造に全ての情熱を捧げた孤高の天才画家たちの関係や心情を、見事に描き出してくれたのです。全ては推測でしかありませんが、「このフィクションが真実であって欲しい」と思わせてくれる作品です。

 

2022/11