りぼんの読書ノート

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興亡の世界史11.東南アジア多文明世界の発見(青柳正規編/石澤良昭著)

「東南アジア」という名称は19世紀前半になってから生まれたものだそうです。それまでひとつの地理区分として認知されていなかったのは、東南アジアの各地が、それぞれ異なる世界の辺境だったからなのでしょう。中国に接するベトナムは「華南以南」であり、インドに接するミャンマーは「外インド」であり、インドネシアは「東インド」であり、フィリピンは「南洋」だったのです。

 

それに加えて、東南アジアが纏まって外部世界に大きな影響を与える出来事が、ほとんどなかったことも挙げられます。東南アジア発の戦争や、歴史的事件や、特産物の大量輸出ということは、これまで起こらなかったのです。そして西洋の諸勢力が進出した後も、オランダ領、イギリス領、スペイン領、フランス領、アメリカ領として、東南アジアの諸地域は分割され続けていました。

 

その背景には、山岳や河川や海に隔てられて孤立した地域に、や多様な文化・言語・宗教を有する多様な民族や部族が分散して居住していたことがあげられるでしょう。しかし、熱帯モンスーン地域という共通の自然環境にありながらパッチワークのような多様性を保ちながら共存していたことこそが、東南アジアらしい価値体系なのかもしれません。本来であれば「アセアン」として全世界に発信すべきなのでしょうが、ミャンマーの軍事政権や中国の干渉などに一体化が阻まれていることも事実です。

 

東南アジアの歴史は複雑です。ざっくり言うと、インドの影響を海から受けてボロブドール遺跡をジャワ島に遺したシャイレーンドラ。マラッカ海峡という海上交通の要所に起こったシュリーヴィジャヤ。中国華南の影響を受けた現ベトナム李朝やチャンパ。中国雲南から南下したビルマ族が興したバガンタイ族が興したスコータイ、アユタヤ。そしてインドシナ半島に長く覇を唱えたアンコールということになるでしょうか。

 

中でも9世紀はじめから14世紀までの600年間に26王を立てたアンコール王朝の存在は重要です。しかしながら14世紀半ばにアユタヤ朝との戦争に敗れてアンコール都城は放棄され、16世紀になってスペイン人宣教師によって「再発見」された時には、栄光の歴史は忘却されていたというのですから儚いもの。近年になって往時の政治・経済・文化の研究も進んでいるようですので、東南アジアの歴史は今後も書き換えられていくのかもしれません。

 

2022/11