りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

大聖堂 中(ケン・フォレット)

キングズブリッジ修道院長となったフィリップは、トムを大聖堂建築の棟梁に指名。石材や木材の手当も見込みがつき、ついに普請が進み始めます。放浪のアリエナは意外にも商才がありました。わずかな貯えを元手にして羊毛の買い付けを行いますが、市場では相手にされません。しかし彼女を救ったのもまた、修道院長のフィリップでした。トムの義理の息子であるジャックは、年上ながら美しいアリエナに心惹かれますが、まだ相手にもされません。

 

しかし内乱の時代の中で、ものごとが順調に進むわけがありません。大聖堂の建設作業と市場の繁栄によって興隆するキングズブリッジと対照的に、新しくシャーリング伯となったウィリアム・ハムレイの領地は、領主の暴虐や悪政のせいで活気を失っていました。フィリップに敵対するウォールラン司教と組んだハムレイは、キングズブリッジを妬んで執拗な嫌がらせを仕掛けてきます。しかも女帝モードと交戦中のスティーブン王は、軍勢を提供するハムレイ家に好意的なのです。石垣を巡らせて度重なるウィリアムの襲撃を防いでいたキングズブリッジでしたが、ついに焼き討ちにあい、多くの死者が出る混乱の中でトムも亡くなってしまいました。

 

再び全てを失ったアリエナは、トムの息子ながら粗暴なアルフレッドとの結婚を余儀なくされます。トムの義理の息子ながら才能豊かなジャックは、失意の中でキングズブリッジから出奔。彼が生まれる前に亡くなった父親の面影を追ってスペインへと向かいます。大聖堂建設の試みはここで潰えてしまうのでしょうか。物語はさらに波乱万丈の物語となる最終巻へと続いていきます。

 

2022/9

大聖堂 上(ケン・フォレット)

著者は新聞記者時代に取材した大聖堂に興味を抱き、その建築過程を扱った小説を構想したそうです。しかしその試みはうまくいかず、スパイ小説作家として文壇にデビュー。それでも初志は捨てきれず、中世史や建築学を学び続け、ついに20年後に本書を書き上げました。中世は人命が軽い残忍粗暴な時代であった反面で、科学の進歩と技術革新の時代でもあったという著者の思いが、本書の中で見事に結実しています。

 

物語の舞台は12世紀の南西イングランドノルマン朝のヘンリー1世亡き後に、甥のスティーブン王と娘の女帝モードが王位を巡って長い抗争を続けた時代。『修道士カドフェル』の読者ならお馴染みの時代ですね。物語の主人公は、いつかこの手で大聖堂を立てたいとの夢を抱く建築職人のトムと、義理の息子のジャック。そこに施主側のキングスブリッジ修道院長フィリップの物語や、近郊のシャーリング伯爵位をめぐる物語が複雑に絡みあっていきます。

 

職を失い家族を抱えて放浪中のトムは出産で妻を失ってしまいます。彼を救ったのは訳あって森で暮らしているエレンとジャックの母子でした。一行はキングズブリッジ修道院で飢えをしのぎますが、折しもそこでは亡くなった修道院長の後継を決める選挙が行われようとしていました。敬虔で合理的な考えを持つフィリップが選ばれますが、老朽化していた聖堂が火事で焼け落ちてしまいます。後片付けや応急処置でフィリップの信頼を得たトムは、大聖堂の建設を進言。しかし火事はなぜ起こったのでしょう。

 

一方で近隣のシャーリング伯は、女帝モードについてスティーブン王への反乱を企てた罪で処刑されてしまいます。後を継いだのは悪辣な豪族であったハムレイ家でした。シャーリング伯の遺児である娘アリエナは、ハムレイ家の息子ウィリアムに凌辱され、弟リチャードとともに家の再興を誓いますが、具体的な手立てなどありません。このウィリアムと司教ウォールランが、本書を通じての悪役ですね。波乱万丈で壮大な物語が幕を開けました。

 

2022/9

伯爵と成金(堀川アサコ)

「幻想」シリーズをはじめとする「少し妖しい物語」が得意な著者ですが、最近ではジャンルを超えた作品も増えてきました。「帝都マユズミ探偵事務所」の副題を有する本書も「妖(あやかし)」の登場しない本格ミステリ小説ですが、未完ですので断言はできません。

 

大正ロマン軍国主義へと切り替わろうとしている昭和6年。無料で探偵をするという奇妙な伯爵家の次男坊・黛望の助手になってしまったのが、強欲成金一家の放蕩息子の牧野心太郎。非道の父親である牧野求助が殺害された事件の容疑者とされた心太郎が、黛氏に救いを求めたことがきっかけでした。そして互いに係り合う不思議な事件が起こり始めたのです。

 

牧野求助を殺害したのは、幼い頃に長兄を殺害された恨みを抱いた異父兄の徹だったのでしょうか。つきあった男性が次々と非業の死を遂げる「死神令嬢」の渡辺一族にはどのような秘密が隠されていたのでしょうか。嘘八百を書き連ねる「文通ガール」として男を手玉に取る風子は、被害者なのか、加害者なのか。心太郎の不良時代の仲間のジュンコは、玉の腰に乗ったはずなのに何故殺害されてしまったのでしょう。義母となった大女優の浦川夫人は、不肖の息子に見切りをつけたのでしょうか。そして闇に蠢く暗殺団「黒影法師」とはどのような存在なのでしょうか。

 

実はエピローグまで終わっても、全ての謎は解き明かされていません。それどころは第1話の牧野求助殺人事件の真相すら再び闇の中に戻ってしまったようです。続編が期待されますが、その実現は本書の評判次第なのかもしれませんね。

 

2022/9

京都はんなり暮し(澤田瞳子)

天平時代の若き官吏たちの物語である『孤鷹の天』で2010年に華々しくデビューし、後に直木賞も受賞する著者が、その前の2008年に綴った京都紹介エッセイです。まだ時代小説のアンソロジー編纂しか経験のない20代の著者は、澤田ふじ子の娘としてのイメージしかなかったはずですが、出版社は早くから著者の文才に目をつけていたのでしょう。

 

冬は初詣やおせち調理、春は桜巡りや菓子巡り、夏は祇園祭納涼床、秋は紅葉や時代祭など、古都の四季を彩る風物詩を解説しながら、古都千年の謎や現代若者気質や、京都に生まれ育った著者ならではの意外なこぼれ話を交えて、独特のエッセイに仕上がっています。

 

ユニークなエピソードをいくつか紹介しておきます。ハッピーマンデーで成人の日が毎年変わるようになって以来、三十三間堂の通し矢の日にちが「柳のお加地」という法要とズレてしまったとのこと。もっとも400年の歴史の前では些細なことと平然としているあたりが京都の懐の深さだそうです。銘菓・夕子の名前の由来は『五番町夕霧楼(水上勉)』の薄幸のヒロインとは知りませんでした。かと思うと「丸竹夷ニ押御池~」に始まる、通りの名前を織り込んだ数え歌は水戸黄門のテーマに乗せると覚えやすいとおどけて見せ、本来のメロディは失われているので構わないと豆知識を披露。

 

京都の「菓子屋」は茶会に出す生菓子・干菓子を商う店であり、街道を往還する人に活力を与える「饅頭屋」や「餅屋」とはルーツも立地も異なるそうです。そういえば出町柳商店街の有名な餅屋「ふたば」は、大原口にあり、山陰街道筋の「中村屋」や鳥羽街道筋の「おせき餅」などと同様に、京都の周辺部に多くあるとのこと。

 

5月は岡崎・勧業館、8月は下鴨・糺の森、11月は百万遍知恩寺というと「古本祭」。人口の1割を学生が占める京都らしい大型イベントであり、古書好きな教授方を探し出すのは難しくなるとのこと。さすが印刷・出版・販売をこなす「本屋発祥の地」ですね。そういえば『夜は短し歩けよ乙女森見登美彦)』にも古本祭は登場していました。

 

「京都に空襲がなかった」のは戦後に意図的に流された作り話であり、東山や西陣では空襲被害が出ています。ただし京都に明治・大正期のレンガ建築が多く残っていることも事実であり、今年4月に泊まった三条通が「近代建築の宝庫」と呼ばれていることは、体感してきました。外国人観光客が減っている今こそ、京都観光のチャンスかもしれません。コロナ禍が収まっているようなら、今年の紅葉の季節にも再訪したいと思っています。

 

2022/9

とうもろこし倉の幽霊(R・A・ラファティ)

1914年にアイオワで生まれ、電気技師を経て1959年に44歳で作家デビューした著者の短編集。「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」からの出版ですが、奇想とユーモアの入り混じった作品はどれも、SFというジャンルには収まり切れていません。

 

「とうもろこし倉の幽霊」

田舎町で起こった幽霊騒動は、結局のところ重層的なホラ話にすぎなかったのでしょうか。地元の少年と都会の少年の肝試しのような冒険では何も起こらなかったのでしょうか。真相は老犬シェップだけが知っているようです。

 

「下に隠れたあの人」

平凡な魔術師であった小男が、唯一無二の「人消し」の技をふるう大魔術師ザンベジとなれたのには、どうのような事情があったのでしょう。妻で相棒のヴェロニカには感謝しきれませんね。

 

「サンペナタス断層崖の縁で」

奇跡的な進化の事例が発掘された現場で、また新たな進化が起ころうとしています。人類は鳥となって大空へ舞い上がっていくのでしょうか。しかし科学者たちの夢想は、地元の平凡な男によって破られます。彼は「カモ女」などを妻に娶りたくなかったのですね。

 

「さあ、恐れなく炎の中へ歩み入ろう」

「居住世界シリーズ」と呼ばれる連作短編のひとつだそうです。既に人類が死に絶えた地球には「奇妙な魚」と呼ばれる亜人類が登場していました。彼らは滅びへ導こうとする圧倒的な力に打ち勝てるのでしょうか。歴史と寓話が出会ったような作品です。

 

「王様の靴ひも」

テーブルの下の小人の世界が見える主人公は、その力を利用して「大きな世界」も見ることができるのでしょうか。彼の力を利用しようとする団体はファシスト集団のようなのですが。

 

「千と万の泉との情事」

人の手がいっさい加わっていない「究極の泉」を求めてさまよう男と、世界を混沌から救う人工的なしるしを探し求める男。2人は彼らを翻弄する狂気をたたえた泉の精と出会うのですが・・。

 

「チョスキー・ボトム騒動」

荒野の川窪に生息するといわれるUMAは人間なのか、別種の生き物なのか。ある日彼らのひとりが地元の高校に入学してフットボールチームに入り、人間離れしたパワーのせいで大活躍。しかし大スターになった彼に対する敵意も生まれてしまうのでした。

 

「鳥使い」

先住民族の伝承にある超自然的な力を持つ「鳥使い」とは、使命を果たしたら首に縄をかけられ、木につるされて燃やされる、藁で作った案山子にすぎないのでしょうか。それとも・・。

 

「いばら姫の物語」

千年も時を止めたいばら姫の眠りとは何だったのでしょう。彼女が眠りについた時に、世界は一度滅亡したのではないでしょうか。世界の終焉と救済の真実は、おとぎ話の中に潜んでいるようです。

 

2022/9

神の子どもたちはみな踊る(村上春樹)

1995年に起こった阪神淡路大震災と、直後に起こったオウム真理教のテロ事件は、自然の脅威や人間の無力さを超えて、世界が損なわれつつある危機感を著者に抱かせたのかもしれません。その後に起こった2001年の9.11テロや2011年の東日本大震災は、不穏な予兆が増幅して実現されたことを示しているのでしょうか。全て三人称で書かれた、地震をめぐる連作小説集です。

 

「UFOが釧路に降りる」

地震から5日間テレビを見続けた妻は失踪。郵便で離婚届を受け取った夫は、友人から、釧路に向かうよう依頼されます。彼がそこで聞いたのは、UFOを目撃した後に失踪した女性の話でした。その女性と妻の間に関連はあるのでしょうか。

 

「アイロンのある風景」

流木で焚火を熾す男女が語るテーマは「死」を巡っているようです。「焚火」の小説を書いたジャック・ロンドンの自殺願望、空虚な部屋を書いた絵、そして流木を拾う生活をしている中年男性は、神戸に妻子を残しているのです。

 

神の子どもたちはみな踊る

完璧な避妊をしたのに妊娠してしまった母親から生まれた青年は、神の子なのでしょうか。青年が出会った追いかけた男は、彼の父親なのでしょうか。そして青年は何故踊り出したのでしょうか。謎めいた物語は、余韻を残して終わります。

 

タイランド

神戸に住む男が地震で死んでいれば良いと願う女性医師は、静養先のタイの田舎で不思議な予言を聞かされます。身体の中で石となった憎悪は、どうすれば取り除けるのでしょう。生きることと死ぬことの意味を考えさせられる作品です。

 

「かえるくん、東京を救う」

これから東京を襲う大地震を未然に食い止めると決意したかえるくんが協力を求めたのは、片桐という普通の青年でした。彼が勤める信用金庫の地下で、強敵のみみずくんが暴れるというのですが・・。。村上春樹作品における「地下の存在」がストレートに登場する作品です。

 

「蜂蜜パイ」

小説化の淳平は『東京奇譚集』にも登場する人物でしょうか。淳平は、彼の親友と結婚しながら離婚した女性を愛し続けていたようです。神戸で起こった地震は、彼の背中を押してくれるのでしょうか。比較的ストレートな作品です。

 

2022/9

絞め殺しの樹(河崎秋子)

絞め殺しの樹とは、芯になる木に絡みついて栄養を奪いながら締め付けていき、元の木を殺してしまう蔓性の樹木のこと。芯の木が枯れる頃には蔓が自立できる太さになっているから中心には空洞が残ります。釈迦が樹下で悟りを開いたインド菩提樹もその一種です。絞め殺した樹もいつかは枯れる諸行無常の世界の中で、絞め殺された木は不幸なだけの存在なのでしょうか。そんな因果関係を超えて新たに生まれて来るものはないのでしょうか。そもそも太くて強い木でなければ、絡みつかれることもないのです。

 

昭和10年、両親の顔も知らない10歳のミサエは、元屯田兵であった家系を誇りとしている農家の吉岡家に引き取られます。かつて祖母が使用人であったというだけの縁でミサエを引き取った吉岡家は、幼い彼女を労働力としてボロ雑巾のようにこき使い、学校へも通わせてもらえません。しかし出入りの薬売りに見込まれて札幌の薬問屋に奉公するようになたことで、彼女の人生は開けました。戦後、保健婦となったミサエは、再び根室に戻ってくるのですが・・。

 

本書は2部構成になっています。第1部は重なる不幸に押しつぶされそうになりながらも懸命に生き抜いたミサエの物語であり、第2部はミサエを母としながら吉岡家を継ぐ養子として育てられた雄介が、既に病死した母の生涯をたどりながら、自分の生き方を定めていく物語。最果ての地である北海道の根室で、戦前から戦後にかけて多難の道を歩き続けたミサエの生涯は「絞め殺された木」のようですが、本書の主題は彼女の芯の強さを描くことだったのでしょう。桜木紫乃さんが描く「北の大地で生き抜く女」とはまた異なるタイプの「強い女性象」です。

 

2022/9