りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

塞王の楯(今村翔吾)

2022年上期に直木賞を受賞して一気に知名度が上がった作家です。過去に直木賞候補となった『童の神』や『じんかん』も高レベルの作品でしたが、本書はそれを上回る面白さです。着眼点がいいですね。ともに近江に生まれたスペシャリスト集団が、それぞれの理想を掲げて戦乱の世を終わらせるために対峙する物語。かたや「最強の楯」である石垣が戦を防ぐと信じる穴太衆。かたや「最強の矛」である鉄砲が戦の抑止力となると信じる国友衆。2つの集団は、関ケ原の前哨戦にあたる大津城攻防戦で対峙することになるのですが・・。

 

物語は、織田信長に落とされた越前・一乗谷城で、家族を失いながら石垣職人の源斎に助けられて生き延びた少年・匡介の視点で進んでいきます。やがて匡介は「石の声を聞く」天賦の才によって、穴太衆を率いるようになっていきます。天下人となった秀吉が亡くなって戦乱の気配が近づく中、匡介は京極高次から琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を任されます。秀吉の愛妾となった妹や、淀君の姉である妻のおかげで大名の地位を保っていると揶揄される高次が、実は民のために戦を避け続けてきた名君であることや、魅力的な奥方の初が小谷城・北の庄と二度の落城を生き延びた過去を持つことなどは、読者を大津城サイドに立たせるためのアクセントですね。

 

その一方で、西軍の石田三成は国友衆に鉄砲作りを依頼。毛利元康や立花宗茂が率いる大軍は、雨の中でも撃てる銃や特大射程の大筒などの新兵器を次々と繰り出します。それに対して防御方はサイフォンの原理を利用した外堀や、一夜で組み替える石垣や、戦闘の最前線で石垣の補修を続ける執念で対抗。そんな中で突然訪れた幕切れは、偶然なのか、奇跡なのか、神仏が仕組んだ悪戯なのか。物語はここで終わりますが、読者はその後の史実も知っています。15年後の大坂攻防戦で戦乱の世を終わらせたのは、石垣でも鉄砲でもなく、人の心の弱さでした。そんな未来までも予見させてくれる本書は、直木賞にふさわしい傑作といえるでしょう。

 

2022/9

アメリカン・スナイパー(クリス・カイル)

著者は、アメリカ海軍特殊部隊SEAL所属のスナイパーとして、4度にわたってイラク戦争に従軍し、160人の敵を仕留めた人物です。米軍史上の最高記録保持者だそうですが、非公式の記録としては遥かに多い数字も伝えられています。味方からは「伝説」と尊敬され、敵からは「悪魔」と恐れられたカイルが、2009年に除隊した後に著した自伝が本書です。

 

テキサスで生まれ育った生い立ち。SEALを志した経緯。厳しい軍事訓練と選抜過程。イラクでの作戦活動と仲間への思い。愛妻タヤとの出会いと家族への思い。愛国心と忠誠心と戦争に蝕まれていく心の内。そういった内容が率直すぎるほどに綴られており、現実に戦争を戦っている国家の兵士としては理想的な人物なのでしょう。その一方で、イラク国家やイラク人に対する評価や表現については明らかに差別的であり、これが問題にならないアメリカ社会には、やはり危うさを感じます。

 

本書は発売後すぐにベストセラーとなりましたが、1年後の2013年に著者がPTSDを患う元海兵隊員に射殺されるという衝撃的な事件が起こったことで、メガヒットとなりました。2015年にはクリント・イーストウッド監督によって映画化されてヒットし、アカデミー賞で作品賞を含む6部門にノミネートされるに至っています。未見ですが、この映画が戦争賛美なのか、反戦的なのか、意見が分かれていたことは記憶に残っています。

 

2022/9

ウィーンの冬(春江一也)

チェコ大使館に勤務していた1967年に「プラハの春」に遭遇した外交官は、実体験をもとにした同名の歴史小説を綴って作家デビュー。その後『ベルリンの秋』を経て、ソ連崩壊直前の時代を舞台とする本書にて「中欧大河ロマン」は完結を迎えます。

 

プラハの春』ではまだ若々しかった外交官・堀江亮介は、50代になって外務省からリストラ対象となり、社団法人へと出向させられてしまいます。しかしそれは、外務省プロパーの能力が必要とされるが、外務省の肩書を持っていてはできない任務への抜擢でした。要するにスパイですね。東西冷戦は終結したものの、国際的な陰謀が渦を巻くウィーンへと、堀江は向かわされます。

 

今になって思うことですが、ソ連崩壊が秒読み段階に入る中で、ソ連製の武器は世界各国に流出したわけです。イラククウェート侵攻、アフリカ各国で起こった内乱や内戦でソ連製の武器が用いられましたが、アジアには流出しなかったのでしょうか。本書は、日本人である堀江が必要とされた背景として、数年後に大規模テロ事件を起こすことになる日本のカルト教団がウィーンを拠点として武器を買いあさっていたという設定のもとに書かれています。そしてカルト教団を背後で操る北朝鮮や、国際的なテロ組織も関わる中で、大量殺戮兵器の流出も目論まれていたのでしょうか。

 

欧米の一流作家による国際陰謀ミステリには及ばないのですが、日本特有の事情や事件を、国際的な視点から描いた作品はまだまだ少ないのが実情です。『プラハの春』は既読でしたが『ベルリンの秋』は未読です。この際あらためて前2作も読んでみようかと思います。この作家の女性たちの扱いには、少々難を感じるのですが・・。

 

2022/9

大絵画展(望月諒子)

第14回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作というから、2010年のことですね。受賞当時すでにプロの作家だったと思いますが、それ以降も1~2年に1冊のペースで書き続けていらっしゃいます。ポール・ニューマンロバート・レッドフォードに捧げられた本書は、映画「スティング」を意識していますね。痛快なコンゲーム小説です。

 

ゴッホ作「ガシェの肖像」がロンドンのオークションで日本人実業家に競り落とされたことは有名な実話です。しかし買主の死後にオークションにかけられたことは判明しているものの、現時点では所在不明だとのこと。個人所蔵となると行方不明になりがちな空白期間や、贋作も数多いといわれる絵画の世界は、ミステリ作家にとって美味しい題材なのでしょう。古来数多くあります。

 

バブル期に超高値を謳歌した絵画市場がバブル崩壊とともに値崩れしたことで、多くの名画が倉庫に保管されたままになっているようです。担保価値を下回った価格で売却すると含み損が確定してしまうため、動かしようがないのですね。存在すら公にできない作品もあるようで、これは詐欺師の活躍チャンス。しかし絵画の金銭的価値にしか興味のない金融機関であっても、セキュリティはしっかりしているのです。本書においては「ガシェの肖像」もそんな扱いを受けていたとされています。

 

借金で追い詰められた男女に持ちかけられた依頼とは、何だったのでしょう。それは何のリスクもない内部犯行なのでしょうか。そもそもこの男女は偶然に選ばれたのでしょうか。さらに真の依頼主とは誰なのでしょう。絵画ミステリにつきものの、贋作や、海外市場動向や、ロマンティックな要素のみならず、ナチスによる没収が法的な持ち主を定め難くしている事情も絡めて、よく書けている作品だと思います。一緒に盗み出した数多くの名画を、一時的に片田舎で展示させるアイデアは気に入りました。

 

2022/9

最後の秘境東京藝大(二宮敦人)

藝大生の妻を持つ著者は、彼女の突拍子もない行動に何度も驚かされます。夜中に巨大な陸亀の木彫りを始めたり、自分の等身大全身像を作るために身体に半紙を貼り付けて紙型をとったりするのですから。そして藝大生に興味を抱いて潜入取材をした結果、著者は「天才たちのカオスな日常」を発見してしまったのです。

 

東大の3倍という入試倍率を持つ東京藝大は、受験最難関校のひとつです。しかも実技が問われるため、ガリ勉すれば入れるものではありません。しかしそんなエリート校であるのに、卒業生の半分くらいは行方不明となる「ダメ人間生製造大学」であるのは何故なのでしょう。しかもまるで別の学校であるかのように学生のキャラも勉学態度も校風も異なる音校と美校でも、行方不明者の比率は変わらないのです。もっとも芸術家を目指す学生たちにとっては、就職などすることは脱落を意味するのかもしれません。そもそも何年かに数名の大天才を生み出すことが藝大の目的であるなら、行方不明者の比率など無意味な数字なのでしょう。

 

著者がインタビューした多くの学生たちの専攻や目標な生態から成り立っている本ですが、個別のケースまで記録しようとするとキリがありません。誰が見ても正統派である分野で成功することの難度の高さや、これが芸術かと考えてしまうような独創的な分野があること、好きなことに好きなだけのめりこめる学生生活。今まで知らなかった世界です。藝大祭に行ってみたくなりました。

 

2022/9

女のいない男たち(村上春樹)

濱口竜介監督による映画「ドライブ・マイ・カー」を見たのをきっかけに、原作が含まれる本書を再読してみました。本書は6篇の短編から成り立っていますが、映画に用いられたのはそのうちの3篇、「ドライブ・マイ・カー」、「シェエラザード」、「木野」です。それだけでなく、男の職業、物語の舞台、愛車サーブ900の色、海外俳優の参加、女性運転手の故郷へのドライブ、海外でのラストシーンなど多くの変更や補足が加えられていますが、原作のテーマ性を損なってはいません。どちらが優れているかという問いは無意味でね。

 

「ドライブ・マイ・カー」

妻の秘密を知りながら正面から向き合ってこなかった男は、妻を失った後に雇った女性ドライバーに秘密を打ち明けます。彼の重い口を開かせたのは、無口な女性ドライバーの運転の正しさだったのかもしれません。「木野」の主人公が「傷つくべきときに十分に傷つかなかった」ことを悔やむ感覚と共通しているようです。

 

「イエスタデイ」

彼女とうまくつきあえない友人から、彼女とデートするよう依頼された男は、もちろん一線など超えません。しかしその直後に友人が失踪したことは、何が原因だったのでしょう。もどかしさがたっぷり詰まった作品です。

 

「独立器官」

多くのガールフレンドとつきあってきた独身の中年医師が、思いもよらず深い恋に落ちてしまいます。「間違ったボートに繋がれてしまった」医師は、生きる意欲を失っていくのです。女性には嘘をつくための独立器官が備わっているのでしょうか。

 

シェエラザード

やつめうなぎになった夢。女子高生時代に同じクラスの男子の家に空き巣に入ってタンポンを置いてきた話。その女との性行為は、彼女が語る物語と分かち難く繋がっているようです。映画では、主人公の妻の造形に用いられました。

 

「木野」

自分を裏切った妻と別れ、伯母の喫茶店を受け継いでジャスバーとした男は、何に護られていたのでしょう。その護りは何故解けてしまったのでしょう。彼の悔恨や記憶は、彼を護り通してはくれないのでしょうか。妻の浮気を発見した経緯と主人公の後悔が、映画で重要な役割を果たしています。映画では「十分に傷つく」が「正しく傷つく」に替えられていることには、さまざまな解釈が成り立ちそうです。

 

「女のいない男たち」

深夜に架かってきた電話は、かつて付き合っていた女の自殺を知らせるものでした。女のいない男になるのは簡単なことなのです。深く愛した女性を失うだけのことなのですから。

 

2022/9

2022/8 Best 3

1.火の柱 上中下(ケン・フォレット

12世紀の内乱時代に大聖堂を建築する『大聖堂』、14世紀の英仏百年戦争とペストの時代を背景とする『大聖堂-果てしなき世界』に続く第3シリーズは、16世紀のエリザベス1世時代の物語でした。イギリス人が最も好む歴史小説の舞台ですね。かつて大聖堂を建築した家系の末裔であるネッドはエリザベスに仕えますが、ライバルのロロはウルトラ・カトリックとして反エリザベス同盟に与します。やがて2人の闘争は国内どころか国家間の陰謀と戦争に結びついていくのですが・・。圧倒的な物語です。

 

2.ブルースRed(桜木紫乃

貧民窟で育った少年・博人が釧路の歓楽街の支配者となる『ブルース』の続編は、彼の義理の娘である莉菜の物語。父親の後継者となった莉菜には、生涯をかけた目的がありました。父親の血を引く優秀な青年を後継者として育て上げるため、恐るべきダークヒロインの道を歩む莉菜に、救いの道は開かれるのでしょうか。北の大地に生きる強い女を描き続ける著者のノワール小説には、迫力も哀愁も詰め込まれています。

 

3.春(アリ・スミス)

イギリスのEU離脱を背景に描かれる「四季四部作」の第3作にあたりますが、前2作との関係は薄いので本書単独でも楽しめる作品です。長年の相棒だった女性脚本家を失った老映画監督と、収容者の処遇に疑問を感じる移民収容施設の女性監督官は、施設に自由に出入りしている伝説の少女フローレンスと出会うのですが・・。本書のテーマは2冊の既刊よりも明快に示されていて、4部作を貫く思想が見えてきたようにも思えます。「余談」である部分までもが丹念に書き込まれた完成度の高い作品と言えるでしょう。

 

【次点】

・大聖堂-果てしなき世界 上中下(ケン・フォレット

 

【その他今月読んだ本】

・興亡の世界史5.シルクロード唐帝国青柳正規編/森安孝夫著)

・不死身の戦艦(ジョン・ジョゼフ・アダムズ/編)

・スイート・ホーム(原田マハ

ヒトコブラクダ層ぜっと(万城目学

・興亡の世界史6.イスラーム帝国のジハード(青柳正規編/小杉泰著)

・つまらない住宅地のすべての家(津村記久子

・現代生活独習ノート(津村記久子

・物語フィリピンの歴史(鈴木静夫

・この地獄の片隅に(ジョン・ジョゼフ・アダムズ/編)

・興亡の世界史7.ケルトの水脈(青柳正規編/原聖著)

・千葉の歴史(千葉県歴史教育者協議会/編)

・夜の声(スティーヴン・ミルハウザー

アポロンと5つの神託 5.太陽の神(リック・リオーダン)

・ぼくはただ、物語を書きたかった。(ラフィク・シャミ)

・時の娘(中村融/編)

 

2022/8/30