りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

女のいない男たち(村上春樹)

濱口竜介監督による映画「ドライブ・マイ・カー」を見たのをきっかけに、原作が含まれる本書を再読してみました。本書は6篇の短編から成り立っていますが、映画に用いられたのはそのうちの3篇、「ドライブ・マイ・カー」、「シェエラザード」、「木野」です。それだけでなく、男の職業、物語の舞台、愛車サーブ900の色、海外俳優の参加、女性運転手の故郷へのドライブ、海外でのラストシーンなど多くの変更や補足が加えられていますが、原作のテーマ性を損なってはいません。どちらが優れているかという問いは無意味でね。

 

「ドライブ・マイ・カー」

妻の秘密を知りながら正面から向き合ってこなかった男は、妻を失った後に雇った女性ドライバーに秘密を打ち明けます。彼の重い口を開かせたのは、無口な女性ドライバーの運転の正しさだったのかもしれません。「木野」の主人公が「傷つくべきときに十分に傷つかなかった」ことを悔やむ感覚と共通しているようです。

 

「イエスタデイ」

彼女とうまくつきあえない友人から、彼女とデートするよう依頼された男は、もちろん一線など超えません。しかしその直後に友人が失踪したことは、何が原因だったのでしょう。もどかしさがたっぷり詰まった作品です。

 

「独立器官」

多くのガールフレンドとつきあってきた独身の中年医師が、思いもよらず深い恋に落ちてしまいます。「間違ったボートに繋がれてしまった」医師は、生きる意欲を失っていくのです。女性には嘘をつくための独立器官が備わっているのでしょうか。

 

シェエラザード

やつめうなぎになった夢。女子高生時代に同じクラスの男子の家に空き巣に入ってタンポンを置いてきた話。その女との性行為は、彼女が語る物語と分かち難く繋がっているようです。映画では、主人公の妻の造形に用いられました。

 

「木野」

自分を裏切った妻と別れ、伯母の喫茶店を受け継いでジャスバーとした男は、何に護られていたのでしょう。その護りは何故解けてしまったのでしょう。彼の悔恨や記憶は、彼を護り通してはくれないのでしょうか。妻の浮気を発見した経緯と主人公の後悔が、映画で重要な役割を果たしています。映画では「十分に傷つく」が「正しく傷つく」に替えられていることには、さまざまな解釈が成り立ちそうです。

 

「女のいない男たち」

深夜に架かってきた電話は、かつて付き合っていた女の自殺を知らせるものでした。女のいない男になるのは簡単なことなのです。深く愛した女性を失うだけのことなのですから。

 

2022/9