りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

十二国記 9.白銀の墟 玄の月(3)小野不由美

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王宮に軟禁状態で置かれている泰麒のもとに、耶利という不思議な少女が派遣されてきます。彼女は後に、この世界における流浪の民である黄朱であることが判明します。蓬山を囲む妖魔の棲家である黄海を故郷とし、王に支配されず天帝の意もすり抜ける妖魔の民と呼ばれる黄朱が、なぜ戴国にいるのでしょう。そして彼女を送り込んできた人物とは誰なのでしょうか。王宮内に蠢いていた妖魔を無力化した耶利の実力は確かなものですが、そもそも王宮に妖魔を招き入れた者は誰なのでしょう。

 

ここに至って阿選が反逆を企んだ真意が明らかになります。かつては良きライバルでありながら王位へと駆け上った驍宗に対する嫉妬ではないというのですが、かなり複雑でねじ曲がった理由にしか思えません。乱暴に纏めてしまうなら、ダークサイドに墜ちたとでも理解しておけば良いのかもしれません。常に民のことを思っていた驍宗と阿選の間には、やはり大きな隔たりが存在するのです。さらには、国も王も麒麟も尊ばず天意にのみ興味を持っているかのようか琅燦の存在も、微妙に絡み合ってたいたようです。

 

北部の山で驍宗を探し続ける李斎は、対象を狭めつつあります。かつては名だたる玉の産地であり廃坑跡が縦横に走る函養山で、妖魔が起こした落盤に閉じ込められていたのです。それによって阿選の手を免れることはできたものの、自力での脱出もできなくなっていたわけです。しかし深山の奥の地下の坑道跡で、彼はどのようにして生き延びていたのでしょう。驍宗に禅譲を強いるために、阿選の手の者も動き出しました。李斎の探索は間に合うのでしょうか。続く最終巻は、全編がクライマックスです。

 

2021/5

 

十二国記 9.白銀の墟 玄の月(2)小野不由美

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大逆を犯して王の座を奪い取った阿選と会った泰麒は、危害こそ与えられなかったものの体のいい軟禁状態に置かれます。もとよりそんなことは覚悟の内ですが、不思議なのは仮王として権力を掌握したはずの阿選が、ほとんど全ての政務を小物の内宰に委ねたままで全く政治を行う気配がないことでした。しかも荒れ果てたままの王宮内には、まるで廃人のように生気を失った人物が溢れているのです。そこにはかつて天の声を聴く天官長でありながら、今では阿選に仕えている琅燦の意図が働いているのでしょうか。彼女もまた簒奪者の一味なのでしょうか。

 

その一方で、李斎らによる驍宗捜索は進んでいません。姿を隠していた兵たちや、驍宗の復活を願う同志たちは少しずつ集結してきますが、勢力と呼ぶのもおこがましいレベル。しかし彼女たちはその過程で、政が行われていないために困窮する民の姿をつぶさに知るのです。荒廃した厳寒の地では、驍宗を慕い続ける民も、阿選に期待する民も、村を捨てて流民や浮民となった者も、民に寄り添う道士たちも、民を襲う土匪といえども、皆等しく貧しいのです。やはり最後は民衆蜂起しかないのでしょうか。しかし仮王・阿選が掌握する王師と対峙するには、人数も、装備も、訓練も圧倒的に不足しており、蜂起しても一蹴されることは目に見えています。

 

そんな中、王宮内で味方を増やしつつあった泰麒は、阿選に禅譲を提案します。この世界で天命によって選ばれた王が変わるには、天に見限られて位を奪われるか、生命を失うかしかありません。泰麒の提案は、驍宗に自ら禅譲させて位を降りた後に速やかに命を終えさせることなのですが、そのためには驍宗が姿を現す必要があるというのです。これは泰麒の深謀なのでしょうか。それとも彼は新しい天命を聴いたというのでしょうか。絶対的に無垢で慈悲深い存在であり、嘘をつくことができない麒麟の提案は、あまりにも謎めいています。まだまだ物語の先は見えてきません。

 

2021/5

十二国記 9.白銀の墟 玄の月(1)小野不由美

 

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このシリーズを代表する人物は第1部『月の影 影の海』の主人公で、普通の女子高生から慶国の景王となる陽子でしょう。でも一番多く書かれている人物は、戴国の麒麟である泰麒です。第2部『風の海 迷宮の岸』は、生来の麒麟である自覚を持てずにいた10歳の少年・泰麒が、ついに天啓を得て驍宗を国王として認めるまでの物語。しかし第6部『黄昏の岸 暁の天』の冒頭では、将軍・阿選の大逆にあって驍宗も泰麒も行方不明となってしまいます。景王・陽子に助けを求めた忠将・李斎によって、呼び戻された泰麒が祖国のために立ち上がるところで本編は終わってしました。ちなみに記憶を失って現代日本である蓬莱に流されていた泰麒が、謎めいた暮らしをおくっていた時の物語が番外編の『魔性の子』です。

 

そして第9部にあたる本書で、ついに泰麒や李斎たちが戴国の人々とともに国家救済に乗り出します。第6部が出版された2001年以降は別の国のエピソードを紹介する短編が2冊出ていただけなので、続編はもう書かれないのではないかと思っていました。読み始める前に読書ノートにつけて記録とwikipediaを読み返し、記憶を新たにする必要があったほど。

 

さて待望の本書です。物語は、戴国に帰還した泰麒と李斎が、北方の寒村でかつて李斎の部下であった項梁と、阿選の登極に疑義を唱えて誅伐を受けて壊滅した道士の生き残りである去思と出会うところから始まります。王の生死を反映する白雉は落ちていないことから驍宗の生存を確信した4人は、行方不明となっている王の探索に乗り出します。そもそもなぜ驍宗はやすやすと阿選の陰謀に陥ってしまったのか。生きているならなぜ6年もの間、姿を現さないのか。驍宗は阿選に囚われているのでしょうか。それとも消息を絶った北部の廃坑近辺で生き延びているのでしょうか。

 

次第に同志も集まってきますが、叛徒の汚名を着た身では行動の自由もままなりません。泰麒は驍宗の捜索を李斎らに委ね、項梁とともに賊王・阿選が統べる首都・鴻基へと向かいます。反乱にあった際に角を切り落とされていた泰麒は麒麟としての力を失っているはずなのですが、阿選を新王と呼ぶのは敵の懐に入るための口実なのでしょうか。それとも何らかの天啓を得たとでもいうのでしょうか。物語はまだ始まったばかりです。

 

2021/5

 

掃除婦のための手引き書(ルシア・ベルリン)

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はじめて名前を聞きましたが、邦訳されているのは本書だけなので、それも当然でしょう。数奇な人生を歩んだ作家です。鉱山技師だった父親の仕事の関係で1936年にアラスカで生まれた後も、アメリカ各地の鉱山町を転々としながら育ち、父親が第2次大戦に出征するとテキサスにある母の実家に移住。祖父も叔父も母もアルコール依存症であり、貧民街で暮らして性的虐待にもあったその時代が一番辛かったとのこと。終戦後は高給を得られるチリに移住し、一転して裕福な上流階級の身分となります。

 

ニューメキシコ大学に在学中に最初の結婚をして2人の息子を得ますが離婚。22歳の時にジャズミュージシャンと再婚してニューヨークに住みますが、やはりすぐに離婚。25歳の時に別のジャズミュージシャンと再再婚してメキシコで暮らし、さらに2人の息子を得ますが、夫が薬物中毒となったことで32歳の時に3度目の離婚。徹底して男運は悪かったようです。

 

その後カリフォルニアで掃除婦、電話交換手、ERの看護師などの職に就きながら、シングルマザーとして4人の息子を育て上げます。この時代に両親を亡くし、さらにメキシコで闘病していた妹の世話をして看取るに至ります。その一方で小説も書き始めていて、49歳の時に短編小説に与えられる文学賞を受賞。家族の業病ともいえるアルコール依存症にもかかりますが、それを克服した後、刑務所などで創作を教えるようになります。58歳にしてコロラド大学の客員教授となった後に肺疾患を患い、2004年に68歳で亡くなるという生涯をおくりました。

 

こんなに長々と著者の生涯を紹介したのは、彼女の小説のほぼすべてが実人生から題材を得た短編であるから。本書には24作もの短編が収録されていますが、対象とした時代によって、まるで全く別の人物を描いたように思えるほどに多様です。数が多いので、時代ごとに1編ずつ気に入った作品の内容を紹介しておきましょう。

 

幼少期「ファントム・ペイン

亡くなる前に幻覚を見始めていた父親の記憶はアラスカ時代に飛び、亡くなる前に山の上に連れて行って置いて来てくれるよう娘に頼みます。アラスカの冬の間に山小屋で死んで老人と山羊たちのことを思い出した娘は、父に抱いていた恐れや畏怖が消えていくのを感じるのでした。他には「マカダム」、「巣に帰る」。

 

少女時代「沈黙」

貧民街に暮らして同級生からも教師からも差別された少女の友人は、隣家のシリア人の少女だけでした。しかし彼女の不良の兄に気に入られたことをきっかけとして、その友情は壊れてしまうのです。後に少女は悟ります。沈黙は時にはとことん悪になるものだと。他には「ドクターH.A.モイニハン」、「星と聖人」、「セックス・アピール」。

 

お嬢様時代「いいと悪い」

チリの高校で、アメリカ帝国主義を非難するアメリカ人女性教師に気に入られた少女は、教師に連れられてボランティア活動に参加。しかしその教師も、労働者たちから屈辱的な扱いを受けてしまうのです。すべてにうんざりした少女は「あの教師は共産党員だ」と父親に告げた結果、その教師はクビになってしまうのでした。他には「バラ色の人生」。

 

結婚時代「エンジェル・コインランドリー店」

下町のコインランドリーでいつも出会っていたインディアンの老人を気に入っていたのに、ある時彼にひどいことを言ってしまいます。それが彼を見た最後だったと気付くのは、ずっと後の事でした。他には「ティーンエイジ・パンク」

 

シングルマザー時代「掃除婦のための手引書」

毎日バスに揺られて他人の家に通い、雇い主のことを観察している掃除婦が書き留める警句は、どれもスパイスが効いています。もちろん盗みなどはもってのほかなのですが、彼女は睡眠薬だけを盗み続けます。いつか死を望むときのことを考えて・・。他には「わたしの騎手」、「喪の仕事」、「今を楽しめ」。

 

アルコール依存症時代「どうにもならない」

13歳の息子から財布を取り上げられるなんて、最低の母親だということはわかっているのです。でも彼女は、息子が起き出す前に家の小銭をかき集めて、4ドルの安酒を買いに行ってしまい一層の自己嫌悪に陥るのでした。他には「最初のデトックス」、「ステップ」。

 

妹の看病時代「ママ」

死の床についた妹を看病しながら、既に亡くなった母の思い出を話し合う姉妹。お気に入りの話は、母が飲酒して娘たちを傷つけるようになる前のこと。でも一番のお気に入りは、まだ子供も生まれる前、愛する人との新婚生活のためにアラスカへと向かうて船の上で涙を浮かべるという、空想上の母の姿でした。「ママを愛してると伝えたい」と泣く妹と対照的に、姉は思うのです。「わたしにそんな優しさはない」と。他には「苦しみの殿堂」、「あとちょっとだけ」

 

こう見ていくと、著者の生涯に触れたように思ってしまいますが、著者を「再発見」して高く評価したリディア・ディヴィスによると「彼女の小説を読んだからといって、彼女を知ったつもりになってはならない」そうです。2015年に出版された作品集に、彼女が寄せた「ストーリーこそがすべて」と題された序文によると、著者の実体験は、取捨選択され、改変され、脚色され、誇張され、省略され、編集されることで作品となったというのですから、やはり作品に描かれた作家の姿を信用してはいけないのです。

 

2021/5

2021/4 Best 3

1.アウグストゥスジョン・ウィリアムズ

養父カエサルを継いで地中海世界を統一し、ローマ帝国初代皇帝となったオクタウィウスに贈られた尊称がアウグストゥス。偉大な名前と若い友人たちしか持っていなかった18歳の青年はどのようにして、カエサルの仇である共和派のキケロやブルトゥスや、カエサルの後継者を自認する軍人アントニウスらを排除してローマ帝国の基礎を築くことができたのでしょう。そしてひとり娘ユリアに翻弄された後半生の後に、死期を悟った老帝は何を思うでしょう。著者の創作とは思えないほど真に迫ったラストの述懐のために費やされた、格調高い名文を存分に味わえる古典派的な名作です。

 

2.ウルフ・ホール 上下(ヒラリー・マンテル)

ヘンリー8世の側近として国王の離婚問題に対処し、英国宗教改革の法律的な礎を築いたトマス・クロムウェル知名度があまり高くないのは、彼が平民出身であることが理由なのでしょうか。失脚したウルジー枢機卿に最後まで仕えたクロムウェルが、貴族たちからの蔑みに耐えながらも実績を積み上げていき、王の信頼を勝ち得ていく過程は、有能な官僚のサクセスストーリーにとどまりません。全3部の大著ですが、アン・ブーリンの王妃戴冠までを描いた第1部では、大法官トマス・モアとの対決がハイライトになります

 

レンブラントの身震い(マーカス・デュ・ソートイ)

イギリス王立協会フェローとして啓蒙活動に熱心な著者が、素数論(『素数の音楽』)、群論(『シンメトリーの地図帳』)、知の最前線(『知の果てへの旅』)に次いでテーマにあげたのは、AI進化の最前線でした。深層学習によってボトムアップアルゴリズムを可能としたAIは、「創造性」において人間を脅かしつつあるのでしょうか。AIが創造力を発揮するには、人間と共感しあうためのストーリーが重要であるとの結論に至る、事実探求と推論の過程が見事です。

 

【次点】

・密林の夢(アン・パチェット)

・偉大なる時のモザイク(カルミネ・アバーテ

 

【その他今月読んだ本】

新宿鮫Ⅺ・暗約領域(大沢在昌

・盤上の向日葵(柚月裕子

・櫂(宮尾登美子

・ムジカ・マキーナ(高野史緒

・黒魚都市(サム・J・ミラー)

・あきない世傳 金と銀8 瀑布篇(高田郁)

・マルドゥック・ストーリーズ 公式二次創作集(冲方丁

・うどんキツネつきの(高山羽根子

・流人道中記(浅田次郎

・カント・アンジェリコ高野史緒

・陽暉楼(宮尾登美子

・江戸の夢びらき(松井今朝子

・仏像破壊の日本史(古川順弘)

・かきあげ家族(中島たい子)

ゴーストハント3 乙女ノ祈リ(小野不由美

・夢も定かに(澤田瞳子

・架空の王国(高野史緒

・寒椿(宮尾登美子

・スミソン氏の遺骨(リチャード・T・コンロイ)

 

2021/4/30

スミソン氏の遺骨(リチャード・T・コンロイ)

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1927年にテネシーで生まれた著者は、原子力研究所、海外領事館勤務の外交局職員、国務省職員などを経験した後で、スンソニアン博物館に長く務めた経歴を持っています。本書の主人公であるヘンリー・スラッグズは、42歳で国務省からスミソニアンに出向中の役人であり、著者の経歴とそっくり重なっているわけです。

 

彼が勤務する渉外業務室は常に存在意義を疑われていて、実際にやっている仕事はどうでもいい客人の案内と、どうでもいい内部調整ばかり。そんな彼が客人に、人類学研究室の頭蓋骨コレクション登録作業を見せていたところ、思いがけない結果が判明。その頭蓋骨は、博物館創設者で150年前に亡くなっていたジェイムズ・スミソン氏だというのです。そしては彼が葬られていた納骨堂の石棺の中から、フリーズドライされた真新しい遺体が発見されてしまいます。

 

それだけではありません。動物の剥製処理設備、保存されたミイラ、ポリマーに覆われた人体模型という、博物館ならではのユニークな処理をされた死体が次々と発見されていくのです。犠牲者が皆、国際出版物交流事業の見直しを命じられた委員会メンバーであることに気付いたヘンリーは、魅力ある若い女性で法律顧問補のフィービ・ケイシーと一緒に犯人捜しを始めるのですが・・。

 

スミソニアンの文化交流事業が旧東側諸国との窓口であったことを犯行動機と関連付け、博物館ならではの死体処理方法を用いて、ミステリとしてきちんと成立している作品です。でも主人公が同輩たちと苦情を言い合う「博物館あるある」や「出向官僚あるある」のほうに魅力を感じる人の方が多いかもしれません。首都ワイントンDCに多くの博物館や学術機関を要するスミソニアンの基礎を築いた人物が、イギリス人であったとは知りませんでした。

 

2021/4

 

 

寒椿(宮尾登美子)

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高知の芸妓子方屋の娘である悦子が、同じ家で姉妹のように暮らした4人の芸妓たちの生きざまを語ります。50歳を過ぎて作家となっている悦子はもちろん著者の分身であり、女衒あがりの実父と素人出身の養母が営む子方屋も、自伝的小説『櫂』にある通り。4人の芸妓の生涯は著者のフィクションかもしれませんが、もちろん似たような実話はたくさん転がっていたのでしょう。

 

「小奴の澄子」

13歳の時に継母から売られた澄子は、子方屋にいた女児の中で最年長であり、最年少の悦子を含めた全員の長女的な役割を努めていました。それでも子供心に、自分たちの運命も悦子との違いもわきまえているのです。やがて流れて行った満州で年季も明け、言い交した男もできるのですが、自分が決して素人娘のように振舞えないこともわかってしまいます。引退間近の年齢になって得た、銀行頭取の二号という立場に満足していたのですが、不慮の事故にあってしまいます。

 

「久千代の民江」

澄子には才覚で負け、貞子には器量で負け、妙子には弁えで負け、周囲からは頭が弱いと言われて育った民江は、実は一番しぶとい女性だったのでしょう。娘を食い物にし続けたダメ父親の呪縛には縛られ続けたものの、ひとつだけ皆に勝てたと思えたものは、商売抜きの恋心だったのかもしれません。

 

「花勇の貞子」

「将来は山海楼を背負う看板芸妓」と言われたほどに優れた芸も器量も持っていた貞子が大成できなかったんは、誰よりも貧しい最低の暮らしで身に着けてしまった卑しさだったのでしょう。6年で8回も借金を増やしながら住み替えを重ねて高知から満州の大連へ、さらに奥地へと流れていく中で、芸妓から娼妓へと身を落とし、敗戦後に帰国しえたものの28歳の若さで早世した貞子。その生涯を調べた悦子は、彼女は最後には素人の妻として死んだことに安堵するのです。

 

「染弥の妙子」

現在は社長夫人となって人から羨まれるようになった妙子ですが、ぞの座はひとりでに転がり込んできたものではありません。戦後すぐに年下の男に見込まれた妙子は、玄人の垢を落として事務の仕事を身に着け、何度も商売をつぶした夫を励まして支え続けたことが実を結んだのです。たとえ短い期間でもひとたび水商売に入り込んだ女が、地に足をつけた生活に戻ることの大変さを、彼女は知っているのです。

 

澄子の病室で、初老の域に入りつつある4人の女性が少女に戻って昔語りをする場面が印象に残りました。この作品は決して、芸妓という境遇に陥った女性たちを憐れむ作品ではありません。むしろ逆境の中をしたたかに生き抜いてきた女性たちの逞しさを感じることができるのです。

 

2021/4