りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

架空の王国(高野史緒)

f:id:wakiabc:20210312152438j:plain

デビュー作『ムジカ・マキーナ』と第2作『カント・アンジェリコ』はともに、「音楽をテーマとするスチームパンクSF」というユニークな作品でした。本書は先の2作品で鍵となる役割を果たした、ボーヴァル王国という架空の国家を主役に据えた物語。

 

フランス東部にありドイツ・スイスと国境を接するボーヴァル王国の性質は、モナコ公国をイメージすれば良いでしょう。外交・経済面ではフランスの保護下にあり、王位継承者が絶えるとフランスに併合されることになっているのです。現在の国王には世継ぎの子がいないため、縁もゆかりもない青年貴族を王位継承者として教会に認めてもらおうというのですが、そんなことは可能なのでしょうか。12世紀にフランス国王から賜った「特許状」なるものがあり、16世紀の国家危機の際にはそれが認められたというのですが・・。

 

ボーヴァルの大学で西洋史学を学ぶために日本からやってきた瑠花は、いきなり騒動に巻き込まれてしまいます。指導教官になるはずだった史学教授が突然の変死。代役に立った青年助教授ルメイエールが、実は王太子となる予定の人物だというのです。しかも教授の死とともに失われた古文書が、例の「特許状」であり、その真贋も問題になっている模様。そしてその古文書らしき羊皮紙の文書が、あろうことか教授が生前に瑠花に託した試験問題に同封されていたのです。ルメイエールの立太子を快く思っていない王妹や、英国貴族や、ゴシップ記者らを交えた古文書の争奪戦のゆくえはどうなるのでしょう。前2作の読者であれば、ボーヴァル王国が諜報や陰謀に長けていたことを覚えていますよね。

 

ラストはかなりドタバタ感もありましたが、「虚構の王国」の「虚構の物語」をいかにもそれっぽく積み上げていく構成も叙述もさすがでした。中世の重要なリンクとして、16世紀の異端者ゼノンなる人物を登場させるあたりは素晴らしい。須賀敦子さんも敬愛したマルグリット・ユルスナールの大作『黒の過程』の主人公で、既成思想が崩壊した時代の中で、同時代のあらゆる知を追求した後に、神の存在を否定するに至った人物です。

 

2021/4

 

夢も定かに(澤田瞳子)

f:id:wakiabc:20210312152245j:plain

聖武天皇の時代。まだ藤原4兄弟と長屋王らとの権力闘争も、藤原氏安宿媛(後の光明子)と県犬飼氏の広刀自の皇后争いにも決着がついていない頃の物語。官女として働くために阿波国から上京してきた若子は、伊勢出身で才能ある笠女や、稲葉出身で美女の春世と同室になります。

 

この時代、氏女(うじめ)と呼ばれる中央有力貴族の娘たちと、采女(うねめ)と呼ばれる地方豪族の娘たちでは、待遇にキャリアとノンキャリほどの差があったとのこと。もちろん男女の差は決定的。一発逆転のチャンスは玉の輿に乗ることなのでしょうが、そんなことを期待していては仕事になりません。まあ、若い女性たちのお仕事小説なのですが、古代日本を舞台とする小説の第一人者である著者にかかると一味も二味も違ってきます。

 

まず登場人物たちが、皆実在していたこと。「続日本紀」に貴族レベルの高級官僚に叙せられた記録がある粟国造若子と飯高君笠目、「万葉集」で皇族出身の安貴王から愛情を寄せられた稲葉八上采女が、3人のモデルだそうです。ひとつネタバレをしてしまうと、wikipedia藤原楓麻呂という高級官僚の父母を調べると、本書の登場人物たちの名前が見つかるはず。

 

当時の政治情勢や風俗習慣を丁寧に織り込んでいることは当然ですが、ストーリーだって面白いのです。仕事を辞めたくなって結婚に逃げようとした若子が紹介された男性の話。男の仕事である書司を手伝った笠女が差別の天井にぶつかる話。貴人と交際した春世が息子を取り上げられてしまう話。3人が安宿媛と広刀自の権力闘争に巻き込まれてしまう話。天皇のお手がついて身籠った後輩を救う話など、どれも短編として成立するほどです。しかも最後には3人それぞれが人生の節目に立って大きな決断をするに至る、長編としての枠組みもしっかりしているのです。この著者の作品に触れたことがない人に、特にお勧めの1冊です。

 

2021/4

 

 

ゴーストハント3 乙女ノ祈リ(小野不由美)

f:id:wakiabc:20210312152134j:plain

ごく普通の女子高生にすぎない谷山麻衣のバイト先は、なんと心霊現象の調査をする渋谷サイキックリサーチ。そこの所長はまだ17歳の青年に過ぎない渋谷一也であり、あとは謎めいた助手のリンさんがいるだけなのですが、これまで学校に憑りついた悪霊や呪われた旧家の謎を解いてきています。今回の事件は、名門女子高校で頻発する怪奇現象。生徒や教師に対して、狐憑き、幽霊、ポルターガイスト、呪いによる事故などが次々に起こっているというのです。

 

例によって、個性豊かな霊能力者たちも登場。ど派手巫女の松崎綾子。ミュージシャン坊主の滝川法生。金髪美少年エクソシスト神父のジョン・ブラウン。美少女霊媒師の原真砂子。調査の結果、それらの現象は旧怪談と新怪談の2つの系統に分かれており、護符や除霊は旧怪談系の現象にしか効果がないということが判明。しかも新怪談系の現象は次第に強まってきており、ついには麻衣や一也までもが襲われてしまいます。やがて判明したのは悲しい真相。この事件を起こした者はある意味被害者であり、最初のきっかけは善意だったのです。

 

第2巻で一也の正体が陰陽師であるように描かれていましたが、陰陽師は助手のリンさんのほうでした。では一也の能力はいったい何なのでしょう。そして普通の女子高生にすぎなかった麻衣も、次第に普通ではなくなってきている様子。全7巻のシリーズであり、最終巻で全ての伏線が回収されていくとのこと。著者の代表作である『十二国紀シリーズ』に先立つ30年前に書かれた作品なので少々古く感じる部分もあるのですが、物語がうまくできているのでほとんど気になりません。

 

2021/4

 

ウルフ・ホール 下(ヒラリー・マンテル)

f:id:wakiabc:20210312152012j:plain

ヘンリー8世の側近として英国宗教改革の法律的な礎を築いたトマス・クロムウェルの活躍は、下巻に入って加速していきます。クロムウェルが中心になって成立させた宗教改革法案(上告禁止法と国王至上法)では、イングランド教皇庁から独立した帝国であることが高らかに宣言されました。教皇ではなく国王に従うことになった英国教会は、ヘンリー8世とキャサリン王妃との結婚無効を認め、アン・ブーリンはついに正式な王妃となることができたのです。

 

国宗教改革に反対の立場を貫いて大法官の職を辞したトマス・モアとの対決が、物語のハイライトです。エラスムスと親交が深く、共産主義理想社会を描いた著作『ユートピア』で人間の理性を信じ、後に殉教者として列聖されるトマス・モアが高潔な人物であることは、間違いないのでしょう。そんな人格者を斬首刑に処したクロムウェルは、これまで、王に媚びる残忍な人物として描かれることが多かったのです。両者の論戦と心情描写を描いた章は、著者が最も注力した個所だったように読み取れます。

 

ヘンリー8世を6年間じらし続けた末に王妃の座を手に入れたアンでしたが、夫の愛は急速に冷めていったようです。待望の出産で得たのは女児のエリザベスにすぎず、男児は流産。やがてヘンリー8世の心はアンの侍女であるジェーン・シーモアへと移っていくのですが、本書は王が「ウルフ・ホール」と呼ばれるシーモア家の居城を訪れる直前で終わっています。著者は本書のタイトルについて、「ヘンリー8世の宮廷全体が、近親相関と弱肉強食がはびこる狼の館だから」と語っていますが、もちろんそれだけではありませんよね。ジェーン・シーモアこそ、家族に恵まれなかったクロムウェルが、妻の死後に唯一愛した相手という説もあるのですから。

 

本書は3部作の第1部であり、第2部『罪人を召し出せ』は既に邦訳も出版されているので、登場人物を忘れないうちに読んでみるつもりです。なお平民であったクロムウェルは、クロムウェル男爵とエセックス伯という2つの爵位を得ることになりますが、後に処刑を前にして全爵位を剥奪されています。それでも男爵位は息子グレゴリーの家系に継承されました。ちなみに本書の時代から100年後に清教徒革命の指導者となったオリバー・クロムウェルは、トマスの時代にジェントリとなった姉キャサリンの曾孫だそうです。

 

2021/4

 

ウルフ・ホール 上(ヒラリー・マンテル)

f:id:wakiabc:20210312151920j:plain

英国国教会を生み出し、次々と6人の妻を娶ったヘンリー8世の時代は、小説や映画の題材に取り上げられることが多いのです。近年では『ブーリン家の姉妹(フィリッパ・グレゴリー)』がヒットしています。

 

本書の主人公は、ヘンリー8世に側近として仕えて英国宗教改革の法律的な礎を築いたトマス・クロムウェルですが、その功績と比べて知名度はあまり高くありません。彼が平民出身であることが、その理由なのでしょう。王や貴族の物語の中では、平民はいかに優秀であっても奉仕するだけの存在でしかないのです。『ブーリン家の姉妹』でも、ほとんど印象に残っていません。

 

トマス・クロムウェルの前半生は謎であり、本書でもあまり語られていません。粗暴な鍛冶屋の息子として生まれ、父親のDVを逃れるために15歳で軍に入り、青年期をフランスやイタリアで過ごして外国語や法学を身に着け、30歳で帰国すると宮廷の大法官として権勢を振るったウルジー枢機卿に仕えて頭角を現していきます。

 

当時の大問題はもちろん、ヘンリー8世の離婚問題。アン・ブーリンに惹かれた国王は、20年間連れ添ったスペイン皇女キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚を無効とする特免状をローマ法王から得ようとしていました。その工作に失敗したウルジーは国王の激怒を受けて失脚し、全財産と官位を没収されて引退させられた後に病死。没落した枢機卿を最後まで支え続けたのがクロムウェルだったのですが、その有能さと忠節が政敵であったノーフォーク卿に評価されるのだから、人生はわからないもの。やがてヘンリー8世からも評価され、信頼を勝ち得て下院議員から閣僚へと出世を重ねていくのでした。

 

このあたりまでが上巻なのですが、とにかく登場人物が多い作品です。7ページにも及ぶ人物紹介リストや、見開きの王室相関図に何度も立ち戻りながら読むことになったのですが、物語はスリリングで面白い。登場人物たちの個性を際立たせるエピソードの選択や叙述も巧みであり、次第に引き込まれていくのは間違いないでしょう。2009年度のブッカー賞や全米批評家協会賞を受賞しただけのことはあります。下巻ではいよいよ、クロムウェルの縦横無尽の活躍が描かれていきます。

 

2021/4

 

 

かきあげ家族(中島たい子)

f:id:wakiabc:20210312151744j:plain

B級コメディ映画ばかり撮り続けてきた老映画監督の中井戸八郎は、最近では仕事のオファーにも見放された状態。元女優の妻がチョイ役で現役復帰を試みているのはともかく、長男は家族に無断で仕事を辞め、次男はひきこもったままで、性転換して女性になった三男は妻と離婚協議中。図らずも久々に家族が集まったものの、皆ワケアリでぐちゃぐちゃの「かきあげ」状態。

 

そんな時に事件が発生。なぜか八郎が、世界的巨匠の故黒川監督から遺された絶筆脚本がネットで売りに出ているというのです。犯人は家族の中にいるのでしょうか。しかしその脚本は、父と息子の微妙な関係を描いたものなのに、肝心の息子が一度も登場しないという不思議な物語なのです。そんな折、やはり元女優で女手一つで八郎を育てた93歳の母が「八郎の父親は黒沢だ」と、今更ながらの爆弾発言。八郎はようやく、一番大切な人たちと正面から向き合おうとするのですが・・。

 

家族総出で一大プロジェクトに取り掛かるラストまで、一気に読んでしまいました。デビュー作の『漢方小説』以来、等身大の女性を描いてきた著者ですが、本書は新境地なのかもしれませせん。本人は否定しているようですが。美大の映像コースを卒業しているだけあって、作品に登場する映画評がどれも的確で、よく観察されていることにも感心しました。それにしても親子関係をテーマとしてヒットした映画は多いのですね。

 

2021/4

 

仏像破壊の日本史(古川順弘)

f:id:wakiabc:20210312151622j:plain

まずは冒頭に収められた数枚の写真が衝撃的です。阿修羅像や無著・世親像などの国宝級の仏像群が留置場に転用されて荒れ果てた興福寺中金堂の床に乱雑に配置された写真。首を落とされた仏像が積み重ねられた興福寺東金堂の写真。明治維新という政治的・社会的な大変革期に進行した、日本史上の大宗教改革である「神仏分離」によって巻き起こされた「廃仏毀釈」の実態をまとめた作品です。

 

6世紀に仏教が伝来してから19世紀末までの間、日本では寺院と神社、仏教と神道が一体化した「神仏習合」が進みました。とはいえ幕府から手厚く保護されていた寺院のほうが、神社よりも優遇されていたようです。王政復古に際して国家神道の樹立を目論んだ一連の「神仏分離令」を契機として、過激な国学者神道家・神職者たちが主導した「廃仏毀釈運動」が民衆を巻き込んでいった背景には、これまでの支配体制への恨みもあったのでしょう。

 

まずは「維新前は寺院だった有名神社」のリストに驚かされます。しかも超有名神社でも神仏分離は困難だったようです。先陣を切った日吉大社延暦寺と争って独立を果たしたことや、もともと神社であった大神神社伏見稲荷社が神宮寺の支配を脱したのは、まだわかりやすい事例です。しかし神仏一体化していた八幡社や、仏教徒でもあった菅原道真を祀った天神社の分離は困難を極めました。そこに家康まで祀っていた東照宮では、今に至るまで寺社間の係争が収まっていません。

 

吉野、出羽、白山、秋葉山竹生島厳島などで祀られる修験道などは、そもそも山岳信仰密教が結びついて生まれたものなので、分離はほとんど不可能事。金毘羅の場合に至っては、神か仏かが裁判で争われるに至ったとのことです。

 

存続の危機に陥った古寺名刹も少なくありません。興福寺東大寺法隆寺薬師寺浅草寺増上寺、大山寺などのトップクラス寺院ですら無事ではすまず、石上神宮の神宮寺であった内山永久寺などは跡形もなく消え去ってしまいました。明治天皇が参拝した伊勢神宮周辺でも、現在のおはらい町一帯に立ち並んでいた仏寺が一掃されています。抵抗勢力が小さい「村の鎮守」レベルでは、さらに徹底的な廃物毀釈があちこちで起こったようです。維新前から藩主が復古神道に帰依していた薩摩藩では1000を超える寺院が、水戸藩では2300を超える寺院の30%が破却されたとのこと。

 

多くの国宝・重文級の仏殿、仏像、仏具などが失われてしまった訳ですが、中国の文化大革命ほど徹底的でなかったことは、まだマシだったのかもしれません。政教分離が当然の欧米近代国家に倣った大日本国憲法で信教の自由は保証され、神道国教化の試みは挫折します。しかしこの運動は戦前の「国家神道」への道を開いたのみならず、日本人の無神論化という副産物まで生み出したのかもしれません。

 

2021/4