りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

アウグストゥス(ジョン・ウィリアムズ)

f:id:wakiabc:20210312150843j:plain

1972年に出版された本書は、生涯に4冊の小説しか創作しなかった著者の最後の小説であり、翌年に全米図書賞を受賞しています。しかし当時の売れ行きは鈍かったようで、邦訳されたのはなんと2020年になってから。第3作の『ストーナー』が再評価されてからのことでした。こんなに素晴らしい小説を、今まで読むことができなかったなんて!

 

アウグストゥスとは、養父カエサルを継いで地中海世界を統一し、ローマ帝国初代皇帝となったオクタウィウスに贈られた尊称のこと。カエサルが暗殺された時にわずか18歳であったオクタウィウスが手にしていたものは、偉大な名前と、養父から引き合わされた若い友人たちだけ。彼を押しつぶそうとしているものは、カエサルを暗殺した共和派のキケロやブルトゥスのみならず、カエサルの後継者を自認する軍人アントニウスレピドゥスたち。本書の第1部は、彼の生涯の盟友であった軍人アグリッパと政治家マエケナス回顧録や書簡によって、まだ何物でもなかった青年が、幾多の難関を乗り越えて、ローマ帝国の基礎を築いていくまでの13年間が生き生きと描かれます。

 

第2部は一転して、皇帝アウグストゥスのもとで平和と文化を享楽するローマの姿が、ひとり娘ユリアの回想録を中心にして語られます。興隆の最中であるにもかかわらず不幸の気配が感じられるのは、直系の男子を有さない持たないアウグストゥスの後継者の座を巡る暗闘が予測されるからでしょうか。政略の道具として3度の結婚をしたユリアが初めて経験した愛は、帝国の安定を揺るがすものだったのです。

 

そして第3部になってはじめて、アウグストゥスの内面が一人称で語られるに至ります。最も愛したユリアを自らの手で不幸に落とし、最も愛するローマを陰険なティベリウスの手に委ねざるを得なくなった中で、死期を悟った老帝は何を思うのか。もちろんこの部分は著者のフィクションですが、わずか40数ページの第3部のために、350ページ近い第1部と第2部が綴られてきたわけです。著者の集大成ともいえる格調高い名文を存分に味わえる作品でした。本書も今年のベスト本の候補です。

 

2021/4

 

 

江戸の夢びらき(松井今朝子)

f:id:wakiabc:20210312150726j:plain

1600年頃の慶長時代に出雲阿国が始めたとされる「かぶき踊」が、江戸初期の「遊女歌舞伎」や「若衆歌舞伎」を経て、演劇を中心とする現代の姿に近いものにまで発展したのは、元禄時代を中心とする17世紀後半のこと。歌舞伎興行を許された江戸四座もこの時代に起こりました。

 

そんな歌舞伎の草創期に登場した不世出の役者が初代市川團十郎。本書は彼の妻となった女性・恵以の視点から、團十郎が「荒事」を生み出した情熱や、江戸の民衆が團十郎に熱狂した背景や、團十郎が舞台上で命を落とした原因や、2人の息子である2代目團十郎が歌舞伎の基本を定めて伝統芸能への道を開いた経緯が語られます。

 

大坂の陣から50年後、泰平の世となった時代を持て余す若者がまだ大勢いた時代、江戸には旗本奴や町奴と呼ばれる無頼の徒が群れていたとのこと。遊郭や芝居町という盛り場で、そういう人々のエネルギーを吸い集めて生まれたのが「歌舞伎芝居」だったのですね。本書では、侠客であった團十郎の父親と、浪人であった恵以の父親は、後に一座の用心棒的な役割を担う男の紹介で知り合ったとされています。子役・海老蔵としてデビューした團十郎がほとぼしる情熱のままに即興で演じた舞台が「荒事」を生み出したとなったという、著者の解釈には頷けます。

 

そんな團十郎が人気の絶頂期に殺害されてしまったのは、役者どうしの嫉妬が原因だったのか。それとも前年の元禄地震で壊れた芝居小屋を再建した心意気が、座元の地位を脅かすものと懸念されたのか。しかし跡を継いだ息子が2代目として、歌舞伎の役柄、隈取り、舞台仕掛けなどの定型を完成させるに至ったのですから、母親としては本望だったのでしょう。生類憐みの令、赤穂浪士の討ち入り、元禄地震、宝永の富士山大噴火、江島生島事件など、草創期の歌舞伎に影響を与えた時代背景も巧みに織り込まれています。歌舞伎界に詳しい、この著者にしか書けない作品です。

 

2021/4

 

 

陽暉楼(宮尾登美子)

f:id:wakiabc:20210312150625j:plain

自らの幼少期をモデルにしたデビュー作『櫂』に続く第2作は、やはり生い立ちと関係が深かった実在の土佐の遊郭の芸妓を主人公とする作品でした。

 

ストーリーはシンプルです。12歳の時に親に売られて芸の世界に身を置くことになった桃若こと房子が、土佐で最も格式の高い遊郭でナンバーワンの芸妓に成長するものの、男を見る眼がなかったために不幸に墜ちていく物語。身体ではなく芸を売るとの心意気が逆に仇となり、男女の世界のことを深く知らなかった房子は、若くハンサムな銀行頭取の息子に心奪われてしまったのです。その青年の子を身籠り、馴染み客の老人が事情を知ったうえで落籍しようとする情けを断り、薄情な青年への想いを空しく貫き通した末に不治の病に侵されてしまうエンディングは悲しすぎます。

 

いわば花柳界の薄幸な女の物語にすぎないのですが、本書は魅力的です。昭和初期の遊郭の雰囲気やしきたりを余すことなく伝えてくれる詳細な描写に加えて、登場する女性たちが皆、強くて個性的なのです。芸の修業にも恋愛にも一途な房子のみならず、強欲な子方屋のおかみ、ライバルながら親友の胡遊、意地悪な転び芸者の茶良介、親身になってくれる三味線方の鶴之助など、誰もが生き生きと描かれています。とりわけ病に伏した房子と対照的に、ナンバーワンへの道を歩み始める妹分のとんぼは、まるで『イヴの総て』のマリリン・モンローのよう。本書が映画化された際の主役は池上季実子ですが、夏目雅子三田佳子、十朱幸代、名取裕子など、当時を代表する女優たちが競って宮尾作品に出演したがっていたのも当然でしょう。

 

かなり前に読んだ『蔵』や『序の舞』を別にすれば、まだ2作しか読み始めていませんが、宮尾作品の魅力に嵌まってしまいました。次は、著者の父親をモデルにした女衒の岩伍が再登場する第3作『寒椿』を読む予定です。

 

2021/4

 

偉大なる時のモザイク(カルミネ・アバーテ)

f:id:wakiabc:20210312150518j:plain

15世紀にオスマントルコの支配を逃れてイタリアに移住したアルバニア人が創った村が、イタリアの南方には点在しているとのこと。これらの土地では現在でも、古アルバニア語に近いアルバレシュという言語が話され、ギリシャ正教の影響を受けた独自の文化や習俗が保たれているそうです。本書は、そうした村の出身者である著者が架空の村「ホラ」を舞台にして描いた、500年に渡る移民の物語。

 

ホラの村を開いた初代パパス(司教)であったヅィミトリ・ダミスの末裔とされるアントニオ・ダミスは、アルバニアから文化交流にやってきた民俗芸能グループの踊り子ドリタに心惹かれます。遥か昔の祖先の出身地への憧憬も相まって、ダミスはアルバニアを訪れてドリタに再会。しかし当時は事実上の鎖国を行っていた独裁社会主義体制の時代。2人は全てを捨ててアルバニアからもイタリアからも脱出するのです。

 

そして20数年後、アントニオの娘と名乗る若い女性ラウラがホラを訪れます。大学を卒業したばかりのミケーレはラウラと恋に落ちますが、村人たちはまだ村を裏切ったアントニオを許していません。そして異国の地で病を得たアントニオが村に戻ってくるというのです。彼とドリタは村と国を捨てた後、どこでどのように暮らしていたのでしょう。老いたアントニオは、村の指導者を捕えるという不吉な「風の影」を逃れることができるのでしょうか。そしてミケーレとラウラはどのような道を選択するのでしょう。

 

ミケーレに古い物語を語る、モザイク師のゴヤーリという人物が登場します。近年のアルバニアからの移民である彼は、なぜか500年前の移民の物語のみならず、アントニオとドリタの物語まで知っており、民族の歴史を描く「時のモザイク」を紡ぎ続けます。いくつもの冒険譚や悲恋がモザイクのように繰り返される物語は、「なぜ人は生まれ故郷から逃げ出さなくてはならないのか」という問いかけに対する、著者の答えのようです。

 

古代遺跡のロマンとアルバニア移民の誇り高い闘いを重ね合わせて描いた『風の丘』や、一族の故郷に戻るという祖父の夢を継いだ青年の物語である『ふたつの海のあいだで』など、重層的な構造を持つ移民の物語を書き続ける著者の作品は、どれもモザイク画のように芯の強い美しさを感じさせてくれるのです。

 

2021/4

 

カント・アンジェリコ(高野史緒)

f:id:wakiabc:20210312150356j:plain

デビュー作『ムジカ・マキーナ』で「音楽スチームパンク」という新しい地平を切り開いた著者の第2作は、やはり音楽をテーマとする歴史改変SFでした。

 

ルイ14世の治世も末期を迎えた1710年代のパリ。極彩色の電飾で光り輝くルーブル宮。真空管と電話線によって欧州に張り巡らされたネットワーク。そこに蠢くのは、バチカンから逃亡して天使の歌声を響かせる去勢歌手。彼を付け狙う遊び人の教皇使節。国を失った盲目の王女。身分を隠して旅をする英国貴族のスパイ。電気屋枢機卿ハッカー崩れのテロリストたち・・。彼らが狙うのは、ネットワークシステムの維持なのか、破壊なのか、独占なのか。それとも全ては、去勢歌手として生きるしかない寄る辺ない孤児たちの刹那的な衝動がなせる業なのか。

 

超絶的なカストラートの歌声が、ハッキングを可能とし、さらには聞き手の快楽神経を麻痺させてしまうという設定がいいですね。ただし物語と登場人物の相関が、混乱一歩手前というまで複雑になっているように思えました。主要な登場人物を歌手ミケーレと、教皇使節オルランドと、亡国の王女ウラニアに絞って、老英国スパイのレスリー卿に物語を語らせるくらいにすれば、もっと整理がついたように思えるのですがいかがでしょう。しかし混乱の時代のパンクな雰囲気を表すために、あえて本書の著わし方を選択したのかもしれません。

 

2021/4

 

流人道中記(浅田次郎)

f:id:wakiabc:20210312150247j:plain

7年前の『一路』と同様、19歳の新米武士が初任務として旅路に臨むロードストーリー。『一路』の小野寺一路は真冬の中山道を江戸に向かう参勤道中を仕切るはめに陥りましたが、本書の新米与力・石川乙次郎は夏の奥州街道を、終点の津軽三厩まで罪人を押送する任務を仰せつかりました。

 

しかしこの囚人・青山玄蕃はあらゆる意味で型破りなのです。桜田門外の変で幕政が動揺している重大時にも関わらず、犯した罪は不義密通。しかも言い渡された切腹を「痛えからいやだ」と断って蝦夷松前藩への流罪となったといういわくつき。さらに玄蕃は3250石取りの超大身旗本のお殿様だというのです。

 

2人は道中でさまざまな人たちと出会います。盗賊仲間が一網打尽となって覚悟を決めた賞金首、その男と幼馴染の年増の遊女、父の敵を探して旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て最期に故郷の水が飲みたいと願う百姓女・・。お役目大事と先を急ぐ乙次郎ですが、抜き差しならぬ事情を抱えた人々を決して見捨てない心意気の持ち主である玄蕃は、あらゆる事件に首を突っ込んでいきます。しかも玄蕃の対応はことごとく人々を納得させて難題を解いていくのですから、格の違いは歴然。では人情に厚く、思慮も深く、どうやら腕も立つらしい、まるで武士の鑑のような玄蕃は、なぜ恥を晒して生きる道を選んだのでしょうか。玄蕃が犯したという罪にはどのような事情があったのでしょうか。

 

あまりにも都合の良い設定が目立つものの、本書の狙いは武士道という幻想に疑念を抱かせることなのでしょう。太平の世が250年続いた中で、武士が定めた制度や法はあまりにもいびつなものになり果てていたのです。この旅で成長した乙次郎は、江戸の奉行所に戻ったら異端児扱いかもしれませんが、やがて来る幕末から維新の世では身の過ごし方を誤ることはないように思えるのです。

 

2021/4

 

密林の夢(アン・パチェット)

f:id:wakiabc:20210312150022j:plain

ペルーの日本大使館人質事件を題材にとって、死にゆく少年ゲリラたちに寄り添った『ベルカント』の著者の第6長編とのことですが、日本での翻訳はまだ2作。もっと紹介して欲しい作家のひとりです。

 

本書はアマゾンの奥地でひとりの女性が再生する物語。アメリカの大手製薬会社の研究員マリーナ・シンは、突然ブラジルへの出張を命じられます。かつて彼女の指導教授であったスウェンソン博士が進めている、生殖医療に革命を起こすとされる新薬の開発状況を確認しに現地に赴いた同僚アンダーズが、現地で熱病に倒れたというのです。電話もメールも通じず正確な位置すら定かではない奥地に赴いたマリーナは、思いがけずもそこで、自分自身の過去の挫折や後悔と向き合うことになるのでした。

 

前半では、マリーナの抱えるトラウマが丁寧に描かれていきます。インド系アメリカ人であるマリーナは、離婚によってカルカッタに戻った父親を、なかなか会えないままに亡くしています。また研修医時代に不運な医療事故を起こしたことで、産婦人科医を断念した過去もありました。彼女が40歳を過ぎても独身で、20歳も年の離れた会社のCEOと交際しているのは、子供を持つことへの怖れがあったからなのでしょう。

 

そんな彼女の心情が、後半になって起こる劇的な事件によって揺らいでいきます。アンダーズを失った妻や子供たちの悲嘆。耳が聞こえない健気な少年との出会い。異常分娩に陥った未開部族の女性を助けるため、14年ぶりに行った帝王切開手術。そして73歳のスウェンソン博士が自らを実験台にして行っている不妊治療の結果を知ったこと。

 

物語はマリーナがアメリカに戻ったところで終わりますが、その後の彼女の人生が気になる人は多いでしょう。マリーナも新薬の成分を含む樹液を飲んでいるため、通常の43歳女性よりは正常妊娠できる可能性は高いはずですので。しかしハッピーエンドに終わるおとぎ話こそ、無条件の永遠の幸福という後日談は信じ難いものなのです。CEOとは別れるとして、本書で仄めかされた望まれない妊娠・出産が彼女を待っているのかもしれません。もちろんそうであっても彼女は力強く生きていくはずですが。

 

2021/4