りぼんの読書ノート

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密林の夢(アン・パチェット)

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ペルーの日本大使館人質事件を題材にとって、死にゆく少年ゲリラたちに寄り添った『ベルカント』の著者の第6長編とのことですが、日本での翻訳はまだ2作。もっと紹介して欲しい作家のひとりです。

 

本書はアマゾンの奥地でひとりの女性が再生する物語。アメリカの大手製薬会社の研究員マリーナ・シンは、突然ブラジルへの出張を命じられます。かつて彼女の指導教授であったスウェンソン博士が進めている、生殖医療に革命を起こすとされる新薬の開発状況を確認しに現地に赴いた同僚アンダーズが、現地で熱病に倒れたというのです。電話もメールも通じず正確な位置すら定かではない奥地に赴いたマリーナは、思いがけずもそこで、自分自身の過去の挫折や後悔と向き合うことになるのでした。

 

前半では、マリーナの抱えるトラウマが丁寧に描かれていきます。インド系アメリカ人であるマリーナは、離婚によってカルカッタに戻った父親を、なかなか会えないままに亡くしています。また研修医時代に不運な医療事故を起こしたことで、産婦人科医を断念した過去もありました。彼女が40歳を過ぎても独身で、20歳も年の離れた会社のCEOと交際しているのは、子供を持つことへの怖れがあったからなのでしょう。

 

そんな彼女の心情が、後半になって起こる劇的な事件によって揺らいでいきます。アンダーズを失った妻や子供たちの悲嘆。耳が聞こえない健気な少年との出会い。異常分娩に陥った未開部族の女性を助けるため、14年ぶりに行った帝王切開手術。そして73歳のスウェンソン博士が自らを実験台にして行っている不妊治療の結果を知ったこと。

 

物語はマリーナがアメリカに戻ったところで終わりますが、その後の彼女の人生が気になる人は多いでしょう。マリーナも新薬の成分を含む樹液を飲んでいるため、通常の43歳女性よりは正常妊娠できる可能性は高いはずですので。しかしハッピーエンドに終わるおとぎ話こそ、無条件の永遠の幸福という後日談は信じ難いものなのです。CEOとは別れるとして、本書で仄めかされた望まれない妊娠・出産が彼女を待っているのかもしれません。もちろんそうであっても彼女は力強く生きていくはずですが。

 

2021/4