りぼんの読書ノート

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流人道中記(浅田次郎)

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7年前の『一路』と同様、19歳の新米武士が初任務として旅路に臨むロードストーリー。『一路』の小野寺一路は真冬の中山道を江戸に向かう参勤道中を仕切るはめに陥りましたが、本書の新米与力・石川乙次郎は夏の奥州街道を、終点の津軽三厩まで罪人を押送する任務を仰せつかりました。

 

しかしこの囚人・青山玄蕃はあらゆる意味で型破りなのです。桜田門外の変で幕政が動揺している重大時にも関わらず、犯した罪は不義密通。しかも言い渡された切腹を「痛えからいやだ」と断って蝦夷松前藩への流罪となったといういわくつき。さらに玄蕃は3250石取りの超大身旗本のお殿様だというのです。

 

2人は道中でさまざまな人たちと出会います。盗賊仲間が一網打尽となって覚悟を決めた賞金首、その男と幼馴染の年増の遊女、父の敵を探して旅する侍、無実の罪を被る少年、病を得て最期に故郷の水が飲みたいと願う百姓女・・。お役目大事と先を急ぐ乙次郎ですが、抜き差しならぬ事情を抱えた人々を決して見捨てない心意気の持ち主である玄蕃は、あらゆる事件に首を突っ込んでいきます。しかも玄蕃の対応はことごとく人々を納得させて難題を解いていくのですから、格の違いは歴然。では人情に厚く、思慮も深く、どうやら腕も立つらしい、まるで武士の鑑のような玄蕃は、なぜ恥を晒して生きる道を選んだのでしょうか。玄蕃が犯したという罪にはどのような事情があったのでしょうか。

 

あまりにも都合の良い設定が目立つものの、本書の狙いは武士道という幻想に疑念を抱かせることなのでしょう。太平の世が250年続いた中で、武士が定めた制度や法はあまりにもいびつなものになり果てていたのです。この旅で成長した乙次郎は、江戸の奉行所に戻ったら異端児扱いかもしれませんが、やがて来る幕末から維新の世では身の過ごし方を誤ることはないように思えるのです。

 

2021/4