りぼんの読書ノート

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仏像破壊の日本史(古川順弘)

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まずは冒頭に収められた数枚の写真が衝撃的です。阿修羅像や無著・世親像などの国宝級の仏像群が留置場に転用されて荒れ果てた興福寺中金堂の床に乱雑に配置された写真。首を落とされた仏像が積み重ねられた興福寺東金堂の写真。明治維新という政治的・社会的な大変革期に進行した、日本史上の大宗教改革である「神仏分離」によって巻き起こされた「廃仏毀釈」の実態をまとめた作品です。

 

6世紀に仏教が伝来してから19世紀末までの間、日本では寺院と神社、仏教と神道が一体化した「神仏習合」が進みました。とはいえ幕府から手厚く保護されていた寺院のほうが、神社よりも優遇されていたようです。王政復古に際して国家神道の樹立を目論んだ一連の「神仏分離令」を契機として、過激な国学者神道家・神職者たちが主導した「廃仏毀釈運動」が民衆を巻き込んでいった背景には、これまでの支配体制への恨みもあったのでしょう。

 

まずは「維新前は寺院だった有名神社」のリストに驚かされます。しかも超有名神社でも神仏分離は困難だったようです。先陣を切った日吉大社延暦寺と争って独立を果たしたことや、もともと神社であった大神神社伏見稲荷社が神宮寺の支配を脱したのは、まだわかりやすい事例です。しかし神仏一体化していた八幡社や、仏教徒でもあった菅原道真を祀った天神社の分離は困難を極めました。そこに家康まで祀っていた東照宮では、今に至るまで寺社間の係争が収まっていません。

 

吉野、出羽、白山、秋葉山竹生島厳島などで祀られる修験道などは、そもそも山岳信仰密教が結びついて生まれたものなので、分離はほとんど不可能事。金毘羅の場合に至っては、神か仏かが裁判で争われるに至ったとのことです。

 

存続の危機に陥った古寺名刹も少なくありません。興福寺東大寺法隆寺薬師寺浅草寺増上寺、大山寺などのトップクラス寺院ですら無事ではすまず、石上神宮の神宮寺であった内山永久寺などは跡形もなく消え去ってしまいました。明治天皇が参拝した伊勢神宮周辺でも、現在のおはらい町一帯に立ち並んでいた仏寺が一掃されています。抵抗勢力が小さい「村の鎮守」レベルでは、さらに徹底的な廃物毀釈があちこちで起こったようです。維新前から藩主が復古神道に帰依していた薩摩藩では1000を超える寺院が、水戸藩では2300を超える寺院の30%が破却されたとのこと。

 

多くの国宝・重文級の仏殿、仏像、仏具などが失われてしまった訳ですが、中国の文化大革命ほど徹底的でなかったことは、まだマシだったのかもしれません。政教分離が当然の欧米近代国家に倣った大日本国憲法で信教の自由は保証され、神道国教化の試みは挫折します。しかしこの運動は戦前の「国家神道」への道を開いたのみならず、日本人の無神論化という副産物まで生み出したのかもしれません。

 

2021/4