りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ホーム・ラン(スティーヴン・ミルハウザー)

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独創的で魅力的な作品を生み続けている著者による短編小説集ですが、訳者はまず末尾に収録された「短編小説の野心」というエッセイを読むように勧めています。作者の求める短編とは「人生の一断片をさりげなく切り取る」ものでも、「あっと驚くどんでん返しが待っている」ものでもないというのです。「短い中に宇宙が丸ごと入っているかのように思える」短編こそが、著者の野心だというのですが、本書はもちろん成功しています。

 

「ミラクル・ポリッシュ」

陰気な訪問販売者から買った鏡磨き剤が中年男性の生活を変えてしまいます。鏡に映った像は紛れもなく自分であるものの、自信を漲らせてくれるのです。陰気な恋人のモニカの姿すら魅力的に見えるのですが、鏡だらけになった家でモニカは言い放つのです。「あなたはあたしを見ない」と。

 

「息子たちと母たち」

久しぶりに帰郷して会った母は、もう息子のことを忘れてしまったよう。これは認知症なのでしょうか。しかし息子は「母は母なりに大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、「また会えてよかったよ」と去っていくのです。タイトルが複数形なのがなんとも不気味です。

 

「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」

理想的な居住地で、自殺者が相次いだのはなぜなのでしょう。中年夫婦、老人、若者たち、子供たち・・。心地よくないものを徹底的に排除した町は、もっとも心地よくないもの・・住民を排除し始めたのでしょうか。

 

「十三人の妻」

13人の妻を持つ男。同等なパートナー、落ち着かせてくれる妻、不満が多い妻、全面的に信頼してくれる妻、浮気がちな妻、空中浮揚する不思議系の妻、完璧に趣味が合う妻、欲望をかきたてて拒絶する妻、夫を無視する妻、病んだ妻、男勝りで仕事好きな妻、夫を否定する妻、常に不在な妻。もちろんそんな性質全てを兼ね備えた女性などいないのです。

 

「Elsewhere」

突然町を襲った落ち着かない気分は、世界のどこかがめくれて何者かが侵入してきた感覚でした。しかし、町の中から顕現したかのような「別の世界」の気配が去った時、人々はそれを懐かしむのです。

 

アルカディア

広大な森の中の豪華なリトリートは、自殺志望者のために作られた施設のようです。客たちをさりげなく自殺に導くためのさまざまな仕掛けやサービスは、必ずや顧客を満足させることでしょう。

 

「若きガウタマの快楽と苦悩」

「やがて偉大な王国を出て叡智を得る」との予言を受けた息子を宮殿に留まらせるために、王は全てを用意したのです。死や老いや病や貧困は遠ざけられた理想的な環境のもとで、優れた友人と理想的な妻を与えられた息子ガウタマ・シッダールタは、それが故に王国を出ることになるのですが。

 

「ホーム・ラン」

同点の九回裏、強打者が放った渾身の一打はどこまでも飛んでいきます。スタンドを超え、成層圏を超え、太陽圏を超え、銀河を超えて・・。

 

2021/2

 

北海タイムス物語 (増田俊也)

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何とも壮絶な「お仕事小説」です。しかも本書は、著者の自伝的な要素を多分に含んでいるのです。

 

まだバブルも終わっていない1990年に、新聞記者を志望しながらほとんど全ての新聞社の入社試験に落ちた主人公・野々村がようやく採用されたのは、札幌にある北海タイムス。歴史ある名門地方紙であるものの、襲来してきた全国紙とライバル北海道新聞の戦いの狭間に落ち込んで、衰退の一途をたどり続けている新聞社でした。実際、本書の時代からすぐ後の1998年に廃刊となっています。

 

人員削減の結果、他社の4倍の仕事量にして7分の1の年収というブラックな職場。管理職になっても年収は200万にすぎず、休みの日には工事現場に働きに行く始末。しかも超過勤務が多いので、その休みすら満足に取れません。それに加えて、野々村が配属されたのは取材記者ではなく、整理部という裏方の仕事だったのです。厳しすぎる先輩に無視され続け、大学時代の彼女からも振られるというおまけつき。「どうしてみんな辞めないんですか」との野々村の言葉は、当時の著者自身の本音だったのでしょう。

 

しかし本書には救いがあるのです。もちろん大新聞を蹴落とすとか、給料が大幅に上がるとか、取材記者になって大スクープをものにするとか、全国紙からスカウトされるとかの奇跡などは起こりません。本書における救いとは、ひとことで言うと達成感なのです。気難しい上司の本心に触れ、変人たちとの難しいに人間関係に心を開き、小さな職場にも蔓延する差別意識の無意味さに気付いて初めて、野々村は仕事の意義や面白さを理解できるようになるのです。

 

何とも熱くて泥臭い作品ですが、スマートな「お仕事小説」とは次元が異なる、熱い作品でした。ちなみに、著者の分身は主人公の野々村ではなく、同期扱いの北大中退・元柔道部の松田なる人物のようです。こちらも野々村とは別の意味で問題児ながら、熱い人物です。

 

2021/2

 

人生の段階(ジュリアン・バーンズ)

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「新潮クレストブックス」はほとんど読んでいるのですが、「最愛の妻を亡くした作家の思索と回想」という本書のことは辛く思えて、ずっと手を出せずにいたのです。思い切って読んで見たのですが、やはり辛い作品でした。

 

本書は奇妙な3部構成で成り立っています。第1部「高さの罪」は気球をめぐる歴史的エピソード。第2部「地表で」は、19世紀の気球乗りであった英国軍人バーナビー大佐と、気球旅行の体験談を著したことがあるフランス女優のサラ・ベルナールが恋に落ちろというフィクション。雲の上を飛ぶような夢見心地になっていた軍人は、舞台ごとに主演男優と必ず恋愛したという移り気な女優によって、最後には地表に叩きつけられてしまいます

 

そのテーマは第3部「深さの喪失」に引き継がれます。最愛の妻パットとともに30年間、夢見心地の幸福な生活を続けた著者は、妻の急死という悲劇によって地表に叩きつけられてしまいます。何事にも関心を持てずに世間との交渉を失い、自殺すら考え、それが自分の中に残された妻の記憶を消し去ることに気付いて思いとどまったものの、悲しみが去ったわけではありません。周囲からは「乗り越える」ことを期待されたり、再婚すら勧められたりもするものの、彼にとっては無意味な言葉です。「寂しさを癒すものは孤独」という詩人の言葉には同意するものの、そもそも寂しさと悲しさは違うものなのです。

 

「悲しみの一部を昇華させた」本書の執筆によっても、著者の悲しみは尽きていないようです。「深さを喪失して落下し続ける」感覚にも似た著者の悲しみには救いなど訪れることはありません。しかし不思議なことに、本書の読後感は悪くはないのです。ここまで妻を愛しぬいた夫の悲しみの深さは、全く逆説的ではあるものの、むしろ幸福と同義に思えてくるのです。「悲しみとは戦う相手ではない」という著者の言葉を、覚えておくことにします。

 

2021/2

 

蒼色の大地(薬丸岳)

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伊坂幸太郎さんの提唱で8組9人の作家陣が、古代から未来の日本を舞台にして、「あるルール」のもとに競作した企画の中の1冊です。そのルールとは、日本の歴史は海族と山族という2つの種族の抗争の中で営まれてきたというもの。著者が描き出した世界の舞台は、明治維新後の19世紀末の瀬戸内海でした。

 

かつて幼馴染でありながら何となく反りが合わなかった2人の運命が、再び交差しようとしています。海軍に入った新太郎は呉鎮守府に配属となり、孤児となって虐げられて育った灯は瀬戸内海を根城とする海賊の一味となっていたのです。しかも新太郎の妹である鈴は、ずっと思いを馳せていた灯を探して、謎の孤島にたどりついていたのです。

 

このシリーズも3冊目になるので、耳の大きな新太郎と鈴の兄妹が山族であり、青い瞳を持つ灯が海族であることは、はじめからわかっています。この時代の山族の中心人物は、なぜか呉鎮守府長官となっていた山神であり、海族の中心人物は海賊の首領である女性の海龍です。なぜか山神と海龍はかつて愛し合っていたようおなのですが、現在は互いを宿敵と思い定めています。山神は職権を濫用し、英国から入手した2隻の新鋭艦をもって海賊の根城と目される鬼仙島襲撃を目論むのですが・・。

 

灯と鈴は愛をまっとうできるのでしょうか。そして上官の違法な襲撃を止めようとする新太郎を含む3人は、争いのない世界を築くことができるのでしょうか。立場の違いを超えて愛し合う男女と、彼らの周囲で起こる友情、恋慕、嫉妬、裏切り・・というと、どうしてもロミジュリになってしまうのですが、そこが作家としての力量が問われる部分。この作品の場合はちょっと無理筋に思えてしまったのですが、いかがでしょうか。

 

2021/2

 

 

ひとり旅立つ少年よ(ボストン・テラン)

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虐待された少女の復讐劇をリアルに描いた『音もなく少女は』の著者が2018年に出版した最新作は、奴隷制度によって分断された世界を旅する少年の物語でした。

 

南北戦争直前の時代。12歳の少年チャーリーの父親は希代の詐欺師であり、ニューヨークの牧師から奴隷解放運動資金の名目で大金を巻き上げます。チャーリーがその茶番劇に協力したのは、父親の目的が精神病院にいる母親を救い出して親子3人で一緒に暮らすためと信じていたからでした。しかし父親は、母親には退院の目途は立っていないことを知っていたのです。そして父親は、その金を狙う悪党によって殺害されてしまうのでした。

 

チャーリーはその金を本来の約束通りに奴隷解放運動家たちに届けるべく、ひとりでミズーリへ向かいます。それは、大金を裏地に縫い込んで隠した上着をまとったことで「邪悪なものも受け継いでしまった」と悩み苦しむ少年にとっての贖罪の旅にほかなりません。少年は、行く先々で出会う悪党たちによって危地に追い込まれる一方で、善意の人々によっても救われていきます。しかも父親を殺した悪党たちもまた、執拗に少年を追い続けるのです。

 

本書の解説にある通り、少年の旅は『指輪物語』で「一つの指輪」をモルドールへと運ぶホビットの旅を思わせます。少年を導いたものは予言ではなく、ニューヨークの桟橋で出会った詩人から手渡された一片の詩編です。その詩人とは、民主主義の信奉者であり、奴隷解放運動家であり、アメリカの国土を賛美したホイットマンのこと。ホイットマンの詩の一篇をタイトルとした本書が、2018年という新たな分断の時代に書かれたことは、決して偶然ではありません。

 

2021/2

 

2021/1 Best 3

巨匠ル・カレさんの2作品、現役感バリバリでブリグジットを扱った『スパイはいまも謀略の地に』と、創作の秘密を垣間見せてくれた自伝的小説『地下道の鳩』は、どちらも素晴らしい作品でした。今月は良い作品にたくさん出会えたのですが、どれもめちゃくちゃ強烈なインパクトを残してくれた作品ではなかった印象です。短編の秀作が多かったせいかもしれません。

 

1.ラスト・ストーリーズ(ウィリアム・トレヴァー

アイルランドが生んだ短編小説の名手の「最後の小説」は、著者の死後2018年に出版されました。精緻な人間観察と細やかな心理描写に加えて、複雑な人生を一瞬で描き出しながら余韻を残す魅力は、最後まで冴え渡っています。。一語たりとも読み飛ばせない作品ばかりですが、なんといっても、どの作品でもラスト一文が素晴らしいのです。

 

2.その日の後刻に(グレイス・ペイリー

1922年にニューヨークに生まれ、84年の生涯でたった3冊の短編集を残しただけの著者に惹かれる人は数多いのですが、村上春樹さんもそのひとり。30年近くの歳月をかけて全作品を翻訳したのですから。本書は、『最後の瞬間のすごく大きな変化』と『人生のちょっとした煩い』に続く、最後の短編集です。著者を含む友人たちとの「集合的人格」とおぼしき女主人公フェイスも、引き続き多くの作品に登場しています。

 

3.ブッチャーズ・クロッシングジョン・ウィリアムズ

静謐な文章でひとりの教師の生涯を淡々と描いた『ストーナー』と同じ著者の作品とは思えないほど、荒々しい小説です。自然に憧れて西部のバックカントリーに乗り込んだ東部の学生が見たものは、自然の厳しさだけでなく、西部開拓史を貫くアメリカの勝利主義だったようです。

 

【次点】

・ローズ・アンダーファイア(エリザベス・ウェイン)

・スパイはいまも謀略の地に(ジョン・ル・カレ

・地下道の鳩(ジョン・ル・カレ

インビジブル坂上泉)

 

【その他今月読んだ本】

・ちいさな国で(ガエル・ファイユ)

・逆さの十字架(マルコス・アギニス)

・京都伏見のあやかし甘味帖 5(柏てん)

・謎が解けたら、ごきげんよう(彩藤アザミ)

・アカネヒメ物語(村山早紀

・ウィンターズ・テイル 上(マーク・ヘルプリン)

・ウィンターズ・テイル 下(マーク・ヘルプリン)

・日本マンガ全史(澤村修治)

・シーソーモンスター(伊坂幸太郎

・チョコリエッタ(大島真寿美

・オオカミは大神(青柳健二)

・猫君(畠中恵

・サブリナとコリーナ(カリ・ファハルド=アンスタイン)

・大江戸火龍改(夢枕獏

・死にがいを求めて生きているの(朝井リョウ

・トランクの中に行った双子(ショーニン・マグワイア

・砂糖の空から落ちてきた少女(ショーニン・マグワイア

・世界の果てのこどもたち(中脇初枝

 

2021/1/30

 

 

世界の果てのこどもたち(中脇初枝)

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戦時中の満州国の最奥地、この先にはもう部落はないとう長白山脈の山裾に作られた開拓村で交差した、生まれも育ちも異なる3人の少女たちの人生が、丁寧に語られていきます。

 

高知の貧しい村から家族とともに開拓村にやってきた珠子は、敗戦後の引き揚げの際に家族とはぐれてしまい、現地の家族に引き取られて中国人として育つことになります。朝鮮人の美子(ミジャ)は、満州国の農業指導員だった父親が対日協力者とされたことで、親戚を頼って来日し、在日朝鮮人として育ちます。横浜で裕福な貿易商の娘として生まれた茉莉は、父親の出張に同行して一時的に満州を訪れました。後に彼女は横浜空襲で身寄りを失い、戦災孤児として施設で育てられます。

 

しかし3人は生涯、満州で遠出をした際に大雨で家に戻れなくなり、おむすびを分け合って過ごした不安な一夜を忘れることはありませんでした。幼い日の友情の思い出が、彼女たちの心の支えになり続けたのです。

 

「世界の果て」とは、彼女たちが出会った満州国の奥地の村のことだけではないのでしょう。それぞれ中国残留孤児、在日朝鮮人戦災孤児として厳しい人生を歩んだ彼女たちにとって、幼い頃の楽しかった思い出は、それこそ世界の果ての出来事にしか思えなかったのでしょうから。そして現在なお増え続けている難民や孤児たちにとっても、本来懐かしいはずの故郷は「世界の果て」になってしまうのかもしれません。

 

2021/1