りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

オババコアック(ベルナルド・アチャガ)

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タイトルの『オババコアック』とは、スペイン・バスク地方のオババという町の小話という意味だそうです。オババとは著者が創り上げた架空の町であり、ガルシア=マルケスのマコンドや藤沢周平の海坂藩のような存在なのでしょう。26編の短編が、大きく3部に分かれて綴られます。

 

「少年時代」

文通相手の少女に恋した少年が後に見出した父親の愛情が奇妙な「エステバン・ウェルフェル」。孤独な少年がたどった数奇な運命に耐えかねた父親が痛ましい「リサルディ神父の公開された手紙」。バスクに赴任した若い女教師が孤独に耐えかねて牧童と関係を持ってしまう「闇の向こうに光を待つ」。外の世界に憧れや恐れを感じる少女たちの「夜毎の散歩(カタリーナの告白とマリーの告白)」の5編の短編からなっています。世界から孤立しているかのようなバスク人の孤独感や疎外感のみならず、多くのバスク人が海外に雄飛したことに由来する世界性も感じ取れます。

 

「ビジャメディアーナに捧げる九つの言葉」

膨大な記憶を垂れ流す男と、記憶を失った男に出会ったことがある「私」は、九つの記憶で十分という精神病院長の言葉に従って、かつて滞在していたカスティーヤのビジャメディアーナという寒村を九の言葉で表現しようと試みます。はじめは「私」を敵視していると思えた村を、次第に愛するようになっていく描写が美しい作品です。いつしか粗野な村人たちも賢人のように思えてくるのです。

 

「最後の言葉を探して」

大量の小説が収斂される「たったひとつの最期の言葉なるものは存在するのでしょうか。作家志望の主人公は、南米帰りの叔父が定期的に開く自作の朗読会に参加するために、友人の医師とふたりでオババに向かいます。彼には少年時代に撮った集合写真の謎を解く目的もありました。作中に登場するいくつもの掌編や、剽窃と創作に関する含蓄ある主張は楽しいのですが、物語は不思議で哀しい結末を迎えます。

 

2020/11

 

嘘と正典(小川哲)

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内戦時代のカンボジアを生き抜いた異才の少年少女の物語を描いた傑作SF『ゲームの王国』の著者による、日本SF大賞受賞後第1作は短編集でした。奇想、歴史、SF、ファンタジーなどのジャンル分けに馴染まない多彩さを見せてくれます。最初の4編のテーマは父と子の関係ですね。

 

「魔術師」

零落した稀代のマジシャンが最後に挑んだのはタイムトラベルでした。19年前の自分に将来の失敗を告げる映像にはトリックが仕込まれているのでしょうか。22年後、それっきり姿を消した父親の跡を継いでいた姉は、二度と戻れない過去へと出発しようとするのですが・・。

 

「ひとすじの光」

亡き父が遺した駄馬は、名馬と言われながら人々の期待を裏切ったスペシャルウィークの血統を継いでいるのでしょうか。競走馬の血筋と自分自身の血筋に共通点を見出した主人公は、父親の思いに気付くのです。

 

「時の扉」

無限の勝利を望む東フランクの王を永遠に呪縛した者は、不吉な双子を棄てたユダヤ人の金貸しだったのでしょうか。そして棄てられた双子の片割れが、後の総統であったのでしょうか。

 

「ムジカ・ムンダーナ

音楽を通貨とするフィリピンの孤島には、宇宙と調和した究極の音楽「ダイガ」が存在しているのでしょうか。父親からダイガと名付けられた息子は、父の思いを知るために孤島へと向かいます。

 

「最後の不良」

ファッションやカルチャーの流行が絶え果てた未来で開かれた、もういちど流行を取り戻そうという集会の狙いは皮肉なものでした。流行の消滅と、ファッションやカルチャーの消滅とは同義ではないのです。

 

「嘘と正典」

過去にメッセージを送る手法が発明された世界。共産主義の消滅を企むCIA工作員が企んだのは、マルクスと出会う前のエンゲルスが容疑者となった裁判の証人に、彼に不利な偽証をするように連絡するのですが・・。この世界における「正典」をは何を意味していたのでしょう。

 

2020/11

 

トリガー(真山仁)

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『ハゲタカ』以来、社会問題とエンターテインメントを両立させる小説を書き続けている著者の新作のテーマは、在日在韓米軍の民営化問題でした。戦争や紛争で自国民の軍人に犠牲が出ることを回避するために、アメリカでは民間軍事会社への軍務外注委託が進行しているようですが、そんなレベルにまで事は進んでいるのでしょうか。しかしこれは日韓両国にとってはたまったものではありません。傭兵の素行の問題だけでなく、民間軍事会社は戦争が起こるほど利益を上げることができるのですから。

 

陰謀が明るみに出たきっかけは、東京五輪の最中に韓国の馬術競技代表が狙撃されたことでした。彼女は韓国大統領の姪であるのみならず、本職はソウル検察庁の検事であり、アメリカの民間軍事会社による日韓両国要人への贈賄を日本の検事とともに調査していたのです。国民的ヒロインを襲った悲劇に対して、韓国の捜査機関は犯人逮捕の厳命を受けますが、日本で起こった事件への捜査権はありません。日本首相と韓国大統領の関係も最悪の状態にある中で、両国の情報機関や操作陣捜査陣は事件の真相にたどり着けるのでしょうか。しかもこの事件に関係して、在日米軍女性将校と北朝鮮潜伏工作員の変死事件が相次いで発生しており、北朝鮮工作員も密かに動き出していたのです。

 

多くの登場人物が入り乱れるので少々ゴツゴツした展開なのですが、一番のキーパーソンが冴木治郎であることを押さえておけば良いのでしょう。元内閣情報調査室長の合気道師範であり、旧友の内閣官房長官からこの事件を解決するように依頼されて内閣参与として臨時に復職するのです。韓国や北朝鮮の情報機関との人脈も利用して事件を鮮やかに解決し、表面的な政治的な決着のみならず、水面下での処罰までしてししまうのですから。こんなスーパーヒーローが実在するなら、日本の情報機関も頼りになるのですが・・。

 

世界をリードしてきたアメリカにはスケールの大きな巨悪が生まれるのでしょうか。著者は同時にアメリカを自浄能力の高い国として信頼も寄せているようですが、アジア諸国としては協力し合って自衛能力を高めていかないことには、超大国が生み出す巨悪には対応しきれないのかもしれません。

 

2020/11

 

流浪の月(凪良ゆう)

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「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ」という相手と、深い絆で結ばれてしまったという感覚を描き出した、2020年の本屋大賞受賞作です。

 

主人公・更紗が自由人で愛情深い両親と暮らした楽しい少女時代は、9歳の時に終わってしまいました。父親の病死と母親の失踪で両親を失った更紗は、伯母の家に引き取られて窮屈で居心地の悪い生活を余儀なくされてしまったのです。そんな時に公園で出会った19歳の青年・文の家についていったことが重大な結果を引き起こします。更紗のわがままをきいてくれただけの文は幼女誘拐犯として逮捕され、更紗には「傷物にされたかわいそうな女の子」というデジタルタトゥーが押されてしまいます。

 

そして15年後、ずっと周囲に理解されないまま孤独な女性に育っていた更紗は、文と偶然に再会。普通の34歳男性と24歳女性であれば、何の問題もなく交際できる年齢差ですが、この2人の場合は違います。ネットで執拗に「その後」を追及されて正体を暴かれてしまい、世間の批判にさらされる中で、2人はどのような生き方を選ぶのでしょう。

 

事実と真実。客観と主観。常識と非常識。幸福と不幸。私たちを包む世界はいつだって、私たちに常識的な行き方を求めて来ます。かつてはLGBTQもそうであったように、常識的な世界を居心地悪く感じてしまう人にとって、出口は必要不可欠なものなのです。そこそこ常識人的な生き方をしていると自分では思っている私ですが、自分と異なる感覚を持つ人たちと共存することができる世界ではあって欲しいと思うのです。

 

2020/11

 

マジカルグランマ(柚木麻子)

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「マジカルニグロ」という言葉があります。「風と共に去りぬ」のマミーのように、不断は存在感を消していながら白人の主人公を助けるために献身的に尽くす、白人社会が作り上げた都合のいい黒人のこと。本書の主人公である柏葉正子もそんな「マジカルグランマ」でした。戦後の日本映画の全盛期に女優になったものの若手の映画監督と結婚してすぐに引退し、75歳を目前に携帯電話のCMで再デビューを果たして「日本のおばあちゃんの顔」となったのです。

 

しかしそんな日は長く続きませんでした。決して「マジカルグランマ」であることに嫌気がさした訳ではなく、「理想のおばあちゃん」からは程遠い存在であることが世間にバレて一気に国民から背を向けられてしまったという次第。屋敷の離れに住んでいる夫とは何年も口すら利いていない仮面夫婦だったのですが、夫の突然死を喜ぶ素振りを見せてしまったことが決定的でした。さらに夫には巨額の借金があることも判明。様々な事情を抱えた仲間と共に、メルカリで家の不用品を売り、自宅をお化け屋敷のテーマパークにすることを考えつくのですが・・。

 

著者は当初、正子が自分で事務所を作って芸能界を席捲していく話を考えていたとのことですが、お化け屋敷のほうが斬新でいいですね。憎まれて死んだ老婆の霊を演じることで正子は、皆から好かれる愛らしい老女という「マジカルグランマ」から脱することができたのですから。自分も気づかないうちに受け入れてしまった差別的な感覚の呪縛から逃れることは難しいのです。まして皆から望まれている役割から逸脱することも。

 

若い頃の正子に映画のオーデションを受けるように勧めてくれた元親友の陽子さんが、世界初の認知症俳優になるというエピソードも含めて、楽しいながら考えさせられる点も多い作品でした。

 

 

2020/11

 

友だち(シーグリッド・ヌーネス)

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ニューヨークのアパートにひとりで暮らす初老の女性作家は、深い喪失感に襲われていました。歴代の妻たちも嫉妬するほどに親密な関係を築いていた元恩師の小説家が、自殺してしまったのです。遠い昔にたった一度だけ関係を持っただけで、最近ではむしろ縁遠くなっていた小説家の死に、彼女はなぜ暗く落ち込んでしまったのでしょう。彼女は静かに思いを綴っていきます。死について、愛や友情について、記憶について、老いるということについて、そして書くという行為について・・。

 

しかしそこに思いがけない闖入者が現れるのです。小説家の遺言で巨大な老犬が譲られてしまうのです。ペット禁止の狭いアパートで始まったグレートデンのアポロとの奇妙な同居は、彼女に何をもたらすのでしょう。彼女のベッドを占領して動かず、主人の不在をひたすら嘆いているようにしか見えないアポロは、彼女よりも孤独な存在なのでしょうか。やがてアポロに本を読み聞かせることで、老女と老犬の間に友情らしきものが生まれるのですが、既にアポロに残された時間は多くはなかったのです。

 

語り手の思いのほうがストーリーよりも遥かに分量が多い作品なのですが、本書は私小説とフィクションのどちらにも属さない小説なのでしょう。語り手の女性は、終盤になって死んだはずの作家に会いに行くのです。実は自殺は未遂であって、作家の飼い犬はグレートデンどころかミニチュアダックスフントだという個所には唖然とさせられてしまいます。では本書は、作家の自殺未遂に想を得たフィクションなのでしょうか。

 

しかしどちらの物語が現実なのかという問いには、意味はないのでしょう。どちらも虚構であるとともに現実の反映なのでしょうから。さまざまな主題について巡らされる女性作家の思いですら、虚構であるのかもしれないのです。

 

2020/11

 

2020/10 Best 3

現代中国の小村、戦後のスペイン・バスク地方、19世紀の英国、平安時代の日本と、異なる時代の異なる国々を描いた作品が上位に並びました。どれも社会問題に鋭く切り込みつつ、ストーリー展開も楽しめる作品です。小説世界ではベルリンにも、スウェーデンにも、トルコにも、アルジェリアにも、モンゴルにも行けるのですが、現実世界はいつになったら自由な往来を楽しめるようになるのでしょう。

 

1.丁庄の夢 (閻連科)

政府の売血政策によってエイズが蔓延した中国の小村には死の匂いが満ちています。廃校となった学校で共同生活を始めた病人たちは、ひとときの安らぎを得るのですが、そこも決して安住の地ではありませんでした。かつて売血王として財を成した男と、彼に反対する人々が反抗しあうものの、どちらの側も金と面子に支配されているのです。既に亡くなった少年を語り手とする物語には、「人類が災難に直面したとき異なる音が存在しないことが最大の災難なのだ」という、著者の使命感には心を打たれます。

 

2.アコーディオン弾きの息子(ベルナルド・アチャガ)

スペインのバスク地方で生まれ育った2人の男性の友情を軸にして、バスク地方の波乱に満ちた近現代史が描かれます。まだ消え去っていない内戦の傷跡に触れ、過激なバスク解放闘争に身を投じた男たちに、安らぎの日は来るのでしょうか。二重三重の入れ子構造になっている、一人の男の回想録と、もう一人の男の加筆と、さらに実際に起こった出来事の相違は、バスク問題の複雑さを反映しているかのようです。

 

3.ジェーン・スティールの告白(リンジー・フェイ)

19世紀英国文学を代表するヒロインの「ジェーン・エア」は、かなり地味なヒロインですが、当時としては自立した女性像を描いたものとして頑迷な男尊主義者から批判を浴びたとのこと。その論争に触発された著者が、『ジェーン・エア』をモチーフとしてさらに強烈な女性像を創り上げました。オリジナルのロチェスターに相当する人物や使用人たちの描かれ方も興味深いのですが、何より波乱万丈のヴィクトリアン・ゴチック調のストーリーを楽しめる作品です。

 

【次点】

・業平(高樹のぶ子

 

【その他今月読んだ本】

・定家明月記私抄(堀田善衞)

・定家明月記私抄 続編(堀田善衞)

・べらぼうくん(万城目学

・今昔百鬼拾遺 鬼(京極夏彦

・今昔百鬼拾遺 天狗(京極夏彦

・今昔百鬼拾遺 河童(京極夏彦

・チンギス紀 5(北方謙三

・チンギス紀 6(北方謙三

・光と風と夢・わが西遊記中島敦

・後藤さんのこと(円城塔

・絡新婦の理(京極夏彦

アルジェリア、シャラ通りの小さな書店(カウテル・アディミ)

・約束された移動(小川洋子

・新しい人生(オルハン・パムク

・ミレニアム6 死すべき女(ダヴィド・ラーゲルクランツ)

・うさぎ通り丸亀不動産(堀川アサコ

・カブールの園(宮内悠介)

・風かおる(葉室麟

サークル・ゲームマーガレット・アトウッド

・ベルリンは晴れているか(深緑野分)

・逃亡小説集(吉田修一

 

2020/10/30