りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

逃亡小説集(吉田修一)

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タイトル通りに「逃亡」をテーマとする4作の短篇を治めた小説集です。逃亡した先には破滅しか待っていないことがわかっていても、人はなぜ逃亡するのでしょう。

 

「逃げろ九州男児

職を失い、年老いた母を抱えて途方に暮れる男は、生活保護を申請。市役所の女性職員も「あなたは生活保護を受ける資格がある」と丁寧な対応をしてくれました。しかし男はふとしたことで暴走を開始するのです。「今、世界が終わったとしても後悔しない」という疼きとは、どのように生まれるものなのでしょう。

 

「逃げろ純愛」

時代錯誤的な文通に記された純愛の当事者は、やがて中学教師の女性と元教え子の未成年男性であることがわかってきます。もちろんこれは犯罪です。幼いながら一途な少年の愛情が、女性教師を破滅に追い込んでいくのです。

 

「逃げろお嬢さん」

一世を風靡しながら転落した元アイドルが、鄙びた山奥の温泉宿に逃げ込んできます。ずっとそのアイドルのファンだったという温泉宿の主人の青年は、TVのドッキリだと思い込んで彼女を匿うのですが、警官が絡んできた時点でわかるべきですよね。しかし彼の無謀な献身は、冷たくなっていた元アイドルの心を溶かしたのかもしれません。

 

「逃げろミスター・ポストマン」

郵便配達の仕事が下請けや孫請けに回されることがあるとは知りませんでした。天下の郵便局のロゴをつけている以上、品行方な運転は必須条件。しかし煽り運転をしてきた男にキレてしまったのは、思い通りになっていない人生に対してなのでしょう。流氷を伝ってサハリンまでなど行けるわけもないのですが。

 

2020/10

 

 

ベルリンは晴れているか(深緑野分)

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1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れて4カ国統治下におかれたベルリンでは、英米ソの3首脳が集まって第二次世界大戦の戦後処理を決定するためのポツダム会談が開かれようとしていました。既にソ連と西側諸国の対立は鮮明であり、緊張感が高まる中で、ひとりのドイツ人男性が不審死。ソ連支配地域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒で殺害されたという事件は、何らかの不穏な動きの前兆なのでしょうか。戦時中にその男クリストフに助けられ、米国の兵員食堂からその歯磨き粉を入手しえたという少女アウグステは、疑いの目を向けられてソ連の秘密警察にあたるNKPDに召喚されてしまいます。

 

もっとも無垢で無力な少女が恩人を殺害したとは誰も思っていなかったようです。疑いはクリストフの甥のエーリヒに向けられ、アウグスタは彼を探しに行くように命じられます。はたしてNKPDの大尉が疑うように、エーリヒは混乱に乗じてナチス再建を志す「人狼」の一員なのでしょうか。なぜか道連れになった元俳優で陽気な泥棒や浮浪児たちとともに、アウグスタは荒廃した街を歩き始めるのですが・・。

 

本書はミステリです。クリストフ殺害犯は意外な人物であり、クリストフ自身が意外な過去を有していたことが後に明らかになってきます。しかし同時に本書は、敗戦直後のベルリンの雰囲気や、一般のドイツ人がユダヤ人問題にどのように向き合っていたのかを伝える歴史小説でもあるのです。それらについては既に多くの作品が扱っているので目新しさは少ないのですが、若い読者にとっては新鮮なのかもしれません。著者の取材は精緻であり、歴史に対する視点が健全であることが、本書を2019年本屋大賞の3位にさせたのでしょう。

 

2020/10

 

サークル・ゲーム(マーガレット・アトウッド)

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自分でいうのもなんですが、読書速度は速いほうだと思います。それと関係があるのかどうか、一語一語をじっくり味わうことが求められる「詩」は比較的苦手なのですが、現在ではカナダ文学界の巨匠となっている著者のデビュー作である本詩集は、後の作品との繋がりも感じられて楽しく読めました。とはいえ28篇すべての感想を書き記すのは無理ですので、印象に残った作品についてだけメモしておきます。

 

「これはわたしの写真」

冒頭の作品から既に不穏です、何の変哲もない風景写真の湖の水面下には、溺れ死んだ私が写っているというのですから。

 

「洪水のあと、わたしたちは」

『マッド・アダム3部作』の第2部のタイトルが「洪水の年」でした。早く第3部を翻訳出版して欲しいものです。

 

「食事」

自分が消費される息苦しさが『侍女の物語』のテーマを想起させるとまで言ってしまっては、「読みすぎ」でしょうか。

 

サークル・ゲーム

子供たちが手を繋いでくるくる回る無邪気な遊戯が、無意味な日々を繰り返す空虚なゲームに思えてきます。「円環が壊れてほしい」という結びの一文は、反フェミニズムへの批判であるとともに、後の著者のブレークスルーを予感させます。

 

「女予言者」

不死を与えられながら最後には声だけの存在になってしまった予言者シビュラは、著作に込めた著者の声なのでしょうか。荒野のイメージが強烈です。ギリシャ神話のモチーフは『ペネロピアド』に続いていきます。

 

「前-両生類」

水中への回帰という主題は、地球温暖化や洪水によるカタストロフィーのみならず、やはり『マッド・アダム3部作』を思い起こさせます。

 

「島々」

水面下では繋がっているものの独立した島であろうとする者たちの姿は、キング・クリムゾンの「アイランズ」と同じ主題ですが、目指している方向性は真逆ですね。

 

「探検家たち」

次の「入植者」たちとセットの作品でしょう。未見の地を発見した探検家たちは、そこに既に打ち捨てられたいたものに気づくのでしょうか。

 

「入植者たち」

最後に収められた作品の「今もなおこの地を支えている塩の海」というイメージは、冒頭の「これはわたしの写真」と対をなしているように思えます。

 

2020/10

 

 

風かおる(葉室麟)

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福岡黒田藩において将来を嘱望されていた佐十郎の人生は、10年前に大きく変わってしまいました。妻が不義を働いて駆け落ちしたことで、藩籍を離れて妻敵討ちの旅に出ることになってしまったのです。それが全て奸計であったと知った佐十郎は、真の敵と果し合いをするために帰藩したものの、彼の身体は既に死病に侵されていたのです。佐十郎のかつての養女で鍼灸医となっていた菜摘は、間違いなく討たれると知りながら治療を施すことに葛藤を覚え、果し合いを止めさせるべく相手を探ろうとするのですが・・。

 

九州の諸藩にとって、藩の外交官ともいえる長崎聞役は優秀な若手の登竜門であったそうです。その時代に鍵があると知った菜摘は、佐十郎と同じ時期に長崎聞役を務めた4人の友人たちを調べ始めます。亡くなった1人を除く3人は、いずれも藩の重役に就いているのですが、その中に真犯人がいるのでしょうか。それとも彼らは皆、共謀しているのでしょうか。やがて彼女が知った真実は、あまりにも哀しいものでした。

 

普通の人間が抱く些細な負の感情が取り返しのつかない事態に繋がってしまうことは、イジメやパワハラや怨恨絡みの事件などの形で、現在でも繰り返し起こっています。そんな時に「何かひとつ良い風さえ吹けば」大事に至らずに事件は防げるのかもしれません。蘭方医の亮と菜摘の若い夫婦や、事件をきっかけに付き合い始めそうな誠之助と千沙には、「この世によき香りをもたらす風」になって欲しいものです。おそらくそれは、2017年に急逝された著者の意図だったに違いないと思えるのです。

 

2020/10

 

 

カブールの園(宮内悠介)

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言語を介さないとコミュニケーションは成り立たないものなのでしょうか。本書に収録されている2編の中編はどちらもアメリカを舞台にしており、日系人と言語の問題が取り扱われています。そしてそこには、4歳から12歳までニューヨークで暮らしたという著者の体験も反映されているようです。

 

表題作「カブールの園」の主人公は、日系3世で女性プログラマーの玲。ITベンチャーの創業者仲間の一員という華々しい職業とはうらはらに、太っていた小学校時代に「豚」と虐められた記憶や、日系2世の母との関係に苦しみ、VRを用いたPTSD治療を受けています。上司にも精神的疲労を感づかれて強制的に休暇を取らされた玲は、予定していたヨセミテを超えてマンザナー収容所に向かいます。彼女はそこで異国における日系人の「伝承されなかった文芸」の存在を知るのですが・・。「世代の最良の精神」に、私たちの手が届くことはあるのでしょうか。2016年に芥川賞候補となった作品です。

 

初期の作品である「半地下」は、日本に戻って英語も忘れかけている男子学生の主人公が、アメリカで亡くなった姉の人生を回想する物語。父親に失踪され、弟を養うためにエンターテインメント性の高いプロレス団体に入り、移民孤児の凶悪なキャラクターを装った末に脳を負傷して亡くなった姉は、自分のアイデンティティを失っていたのでしょうか。死を前にして言葉を失いつつあると自覚することも、構造的に両立しえない2つの言語による思考を共存させようとする努力も、どちらも同じように残酷なことなのかこしれません。

 

2020/10

 

うさぎ通り丸亀不動産(堀川アサコ)

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うさぎ通り商店街の老舗「丸亀不動産」のただ1人の社員である美波は、「視えるひと」でした。「鬼平」と呼ばれる女社長の二瓶が、可愛らしい容姿をしているものの全く仕事ができない美波を雇っている理由はただひとつ。幽霊が出るという事故物件に送り込んで原因究明をさせることだったのです。

 

娘に大切なことを伝えるために現れた両親と弟。妻への謝罪を言うことなく亡くなった高齢の男性。結婚式ソングがかかる部屋で死んだ男性。気が弱いうえに除霊能力もない美波には「視ること」以外は何もできないのですが、彼女の優しい気持ちが問題を解決に向かわせるようです。幽霊も人間も、こういう女性には力になってあげたくなってしまうのでしょうか。

 

唯一の趣味が刺繍でありながら無類のヘタクソで、しかしそのヘタクソぶりがかえってSNSで話題になっているという美波のキャラがいいですね。しかもオニヘイ社長の過去の恋人であった男性が経営するライバル不動産会社のイケメン社員が、ネットで「刺繍王子」と噂される人物ではないかという問題も残されています。しかも彼は美波に好感を抱いているようなのですが、このあたりの問題は未解決のまま。ということは続編もありそうです。著者の代表作である「幻想シリーズ」ほど完成度は高くはないのですが。

 

2020/10

 

 

アコーディオン弾きの息子(ベルナルド・アチャガ)

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スペインのバスク地方と言うと、内戦時代のゲルニカ無差別爆撃や近年まで続いた独立武装紛争のイメージが強く、地域全体が「反フランコ・反スペイン」という印象を持ってしまいます。しかしそこには多種多様な主義主張が入り乱れているのです。「クレスト・ブックスはじめてのバスク語文学」と紹介される本書では、長い年月をともにすごした2人の男性の友情を軸にして、バスク地方の波乱に満ちた近現代史が描かれます。

 

1999年のカリフォルニア。「この牧場で過ごした日々ほど楽園に近づいたことはなかった」と妻と娘たちに言い残して病死した男は、家族にも読めないバスク語で書き回想録を遺していました。その男ダグの長年の友人で今は作家になっているヨシェバは、未亡人から回想録を託されて「アコーデオン弾きの息子」という物語を紡ぎあげます。

 

スペイン内戦が終わって25年が過ぎた1965年。15歳の少年だったダビは、叔父の言葉や友人の家で見た秘密のノートから、闇につつまれた過去に気づいてしまいます。今では町の顔役のひとりとなっている父親のアンヘルは、共和派の人々をフランコ軍の幹部に売り渡して銃殺させたのでしょうか。保守派の戦没者のみを讃える慰霊碑の除幕式でアコーデオンを弾くように、ダビは父親から命じられるのですが・・。

 

さらに5年後、大学生となっていたダビやヨシェバらは、さらに過激なバスク解放闘争に身を投じることになります。慰霊碑の爆破、スペイン国旗焼き捨て、町の有力者が所有するホテル放火事件が起きる中で、友人が治安警備隊に殺害され、ダビたちはフランスに亡命。再度スペインに潜入した際に警察に逮捕されてしまうのですが、そこには複雑な事情がありました。そしてダビは生涯、その事実を知ることがなかったのです。

 

二重三重の入れ子構造。ダビの回想録とヨシェバの加筆との差異。実際に起こった出来事とフィクションとして綴られた物語との相違。牧歌的な村のたたずまいに隠された内戦の影のように、バスク問題の複雑さが小説の複雑な構造に反映されているかのようです。これまで150冊を超える「クレストブックス」を読みましたが、こういう作品に当たると嬉しくなります。著者の代表作とされる寓話的な『オババコアック』も読んでみましょう。

 

2020/10