りぼんの読書ノート

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黒い本(オルハン・パムク)

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ノーベル賞作家が、国際的なベストセラーとなったわたしの名は紅の前に著した小説が、ついに邦訳されました。四半世紀も前の1990年の作品ですが、未だに色褪せてはいません。

物語は、イスタンブールの青年弁護士であるガーリップが、トルコ語で「夢」を意味する名を持つ愛妻リュヤーに突然失踪される場面から始まります、まるでねじまき鳥クロニクルのようなプロットであり、両書に共通した雰囲気も少なからず感じられるのですが、その後の展開はもちろん異なって行きます。

奇数章は妻の行方を求めてイスタンブールの町をさまよい歩くガーリップの物語であり、偶数章は年上の従弟で新聞記者のジェラールが連載していたコラム。このコラムが凄いのです。ありとあらゆる事柄に一家言を呈する博覧強記のコラムは、まるでイスタンブールという街を多面的に眺めた百科事典のよう。

やはり失踪したジェラールと妻リュヤーが一緒にいるのではいかという不安におののきながら、コラムに書かれた秘密・暗号・隠喩・暗示を頼りにして、ガーリップはジェラールへと迫っていきます。しかしその過程でガーリップは、探索という現実とコラムという虚構の狭間に落ち込んでしまい、「自分であること」の意味を見失っていくのでした。ついにはジェラールと自分の区別すら判然としなくなった頃になって、失踪事件の真相が告げられるのですが・・。

干上がったボスポラス海峡から現れ出る歴史の陰部、雑貨屋に置かれた商品の緻密な描写、トルコ人を模したマネキン作りに命をかける親方、イスラム神秘主義教団への弾圧の歴史、自分自身を見失ったオスマン帝国の皇帝、クーデターを企図する一派への潜入記事、真実を求める床屋の話・・。「西洋と東洋の中間地点」という言葉だけでは片づけられない重層的な物語は、後の無垢の博物館とも重なる部分も多いようです。

やがてジェラールとリュヤーの行方は判明するのですが、ガーリップが「夢」から覚めることはなさそうです。リュヤーが発見されたという場面の、なんと幻想的なこと!

2016/10