りぼんの読書ノート

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人形クリニック(辻邦生)

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シリーズ第4巻では、社会主義に見切りをつけて欧州を立つまでの宮辺を追う「緑の場所からの挿話」と、主人公が大学を卒業して結婚するまでの「橙の場所からの挿話」の後半が綴られます。

【緑の場所からの挿話】
「8.人形(プッペン)クリニック」 ミュンヘンでドクター・シュトルツの紹介で知り合ったヘルター姉妹の姉カタリーネには、姉に恋人の画家マルティンを奪われたと思い込んで精神を病んだ妹のアンナ・マリアがいました。妹は幼い頃から美貌の姉に嫉妬心を抱き、姉の人形を壊したという過去もあったのです。

「9.森の歌」 磐石とも思えた富を持つミラノの貴族・モネータ家にも、デモに巻き込まれた夫人が流れ弾に当たて死亡、夫は精神を病むという事件が起こります。それでもモネータ家の湖の別荘に仕える女中キアラと娘ルイーズの生活は変わりません。もっとも強いものは慎ましさなのでしょうか。

「10.マイヤーホフの春秋」 南ドイツのマイヤーホフの旅籠の壁に描かれた地獄変容図を依頼したのは、魔術的なものに関心を持っていた当主ギュンターの祖父ペーターでした。祖父の影響を強く受けた弟ミヒャエルは作家になったのですが、本心では魔術師になりたがっていたのです。それは後に、民族全体が死の舞踏マカーブルを踊るようになったことと通じる心情なのでしょうか。

「11.コルヌアーユの恋人たち」 ナントで没落しつつある船主階級の末裔ジャン・ブロンデルと、クリスティーヌが心中事件を起こします。2人の繋がりは、若い日に亡くした婚約者を思って主外独身を通したフォントナーユ家の大叔母が残した緑の手帖だったのです。家系を継いだアンヌ・マリはエマニュエルの祖母?

「12.海辺の城」 スウェーデンの生活は地に着いたもののようですが、ここにも老嬢フリーダと、彼女を愛して彼女の罪を負ったピアノ教師クリスティアンの悲しい恋愛がありました。宮辺は、理論や物欲の枠では捉えきれない生命を衝き動かす何ものかがなければ社会主義も民主政権も意味がないのではないかと思うに至ります。

「13.オルフェウスの娘たち」 パリの老朽家屋に住み音楽を奏でる三姉妹の父親の死の真相は、亡き妻と似た女性アリシーから迫られた無理心中だったのでしょうか。老朽家屋が取り壊され、三姉妹の一人クリスティアーヌと結婚した調査員ルネ・ジラールでしたが、正者の国と三重奏とどちらが大事だったのでしょう。時代が戦争に傾斜していく時代の直前のできごとです。

「14.地の果て」 宮辺が書いた小説は、国境を越えて地の果てまで戦いに赴きながら互いに食い合う義勇兵たちを描いたものでした。社会主義者であった宮辺は帰国後は運動に関わらず沈黙を通しました。マルセイユを出る前に出会った女性ジュリーは、人間がひとりひとりどうしようもなく孤独であることを悲しんでいました。同志ミレーユの言う理想的な人間の連帯はありえるのでしょうか。

【橙の場所からの挿話】
「8.聖路加病院まで」 子供のころから女を感じさせた2歳年上の伯父の娘・加奈は平凡な結婚に不満を抱き、西永氏と離婚。西永氏はアメリカへ旅立ちます。伯父が亡くなり、伯母は西永氏と加奈の娘・照子を引き取ります。

「9.城の秋」 退役少佐の田村順造の死には、意のままにならなかった人生の複雑な味を知るという意味があったはずという主人公の言葉に、順造の娘・咲耶は慰められます。再会した当時の友人・武井は挫折を経験していました。

「10.青い葡萄」 大沼直衛男爵は東亜経済研究所で楽な仕事につき、従妹の弓子と同居しながら、満洲に行った友人の平の娘・朱美を預かっています。平は、かつて大沼と親しかった撞球屋の菊子と結婚して別れていたのです。女性の方がリアリストなのでしょうか。それとも最悪のものを覚悟しているだけなのでしょうか。

「11.月曜日の記憶」 出生する叔父の病院の留守番として、篠と出会った北海道の田舎町を再訪した主人公は、妻の浮気で出奔した地方作家の安藤堪三が男女間の愛憎を曜日になぞらえていたことを聞きます。

「12.薄明の時」 主人公は検査で軽い肺結核が見つかって第三乙となり徴兵を免れます。旧友と再会して社会主義者の学者真岡貞三の息子と娘がアメリカにいることや、足が悪かった美少女・鬼塚冴が美大にいたことを知のですが、病気休学中の冴とは再会できませんでした。

「13.夜の入口」 出版社でバイト的に文章を書くゆになり、編集者の谷健次と知り合います。除隊してきた叔父は満鉄総務部に就職が決まるのですが、理想の生活をおくっていたかのような瀬木は左翼調査で引っかかって退職していました。小説家志望だった叔父も、南部や伊根子らの社会主義者と関わってきた過去があるのですが。

「14.春の潮」 金沢に住む従妹の良子は陸運大尉の高村富士雄と結婚しましたが、女は学校を終えた時に自由も可能性も失うのかと嘆きます。主人公は、良子を愛していた気持ちに別れを告げ、幼少期の終わりを感じて、大学を卒業していきます。

戦争期に成長した「橙」の主人公の明るさと、同時代に社会主義に見切りをつけていく宮辺が対称的ですね。

2013/1