りぼんの読書ノート

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ロシヤにおける広瀬武夫(島田謹二)

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坂の上の雲』のドラマ化で、秋山真之の友人として脚光を浴びている広瀬武夫海軍中佐のロシア留学時代を、2000通もの手紙や資料から再現した作品です。司馬遼太郎さんも執筆の際に参考にした研究書ともなっています。

明治31年(1898年)に再開された海軍留学生は、英・独・仏・米・露にそれぞれ1人、わずか5人という狭き門でしたから、それぞれ海軍士官学校の最優秀卒業生だったのですが、広瀬だけは同期80人中64番という劣等生からの抜擢だったそうです。当時まだ海軍では珍しかったロシア語を独学していたことが理由の一つにあげられていますが、それよりも、気概とかリーダーシップとかいう人格的なことによるのでしょうね。なぜなら広瀬のロシア語は、少なくともはじめは全然たいしたものではなかったのですから。

領事館付武官の八代六郎などのよき先輩に恵まれてロシアでの生活にも慣れ、ロシア海軍の実情調査なども行なってはいますが、たとえば秋山真之米西戦争レポートとは雲泥の差があるはずですし、留学生活の間に偉業や研究を成し遂げたというものではないのでしょう。

ではなぜ彼の留学生活に、このような研究書が出るほどの価値があったのか。数年後の日露開戦直後、旅順港外での英雄的な戦死によって「軍神」に祭り上げられた虚像を正すだけの目的ではありませんね。本書の目的は、武骨な武人でありながら「徳あり、才あり、風流あり」の明治紳士でもあった好漢・広瀬武夫という人間が、後に敵国となったロシアの人々からも愛されていたとの事実を広く遺しておきたかったからではないかと思うのです。あたし自身がこの人物に好感を抱いたくらいですから、ロシア貴族の令嬢アリアズナとの純愛だって納得できます。サンクトペテルブルグでの別れの場面などは感動的ですらありました。

しかも、それだけではありません。本書は巧まずして、はじめは文化と風習の違いにとまどいながらも、様々な体験を重ねるに連れて、ロシアを友人たちの国として愛し、文豪たちの国として尊敬するようになっていく広瀬が、人間として成長していく「文学」になっているのです。まるで漱石三四郎を思わせてくれるほどに・・。

戦前の唱歌の歌詞に「男子のうちの真男子、世界に示す鑑とは、広瀬中佐のことならん」とあったそうですが、「軍神」という虚像を廃してもなお、というより、虚像を廃することによって、広瀬武夫という人物の好ましい実像が浮かび上がってきたように思えます。

2010/3