りぼんの読書ノート

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ブラッド・メリディアン(コーマック・マッカーシー)

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ニューヨーク・タイムズ」紙上の著名作家の投票で「ベスト・アメリカン・ノヴェルズ(2006‐1981)」に選出された小説だそうです。原書の出版はすべての美しい馬より前の1985年ですから、「国境三部作」の序章ともいうべき位置付けの作品なのでしょうが、テイストは近年の血と暴力の国ザ・ロードに似ています。

時代はアメリカの開拓時代。対メキシコ戦争(1845~1848年)のさなかであって、まだカリフォルニアが合衆国の領土となっていない時期。アメリカが領土と支配権の拡張を「明白な運命」であるとする帝国主義的理念を確立し、メキシコを侵略する不法戦士たちが国境付近で暴虐を尽くした時期。

当時の西部は、様々な人種が入り乱れ、暴力と堕落に支配されていた無法地帯でした。主人公の少年は14歳の時に家出し、物乞いや盗みをしながら各地を放浪していたのですが、「判事」と呼ばれる不気味な男ホールデンの誘いで、グラントン大尉が率いるインディアン討伐隊に加わります。グラントン団とは実在した集団であり、本書の中で重要な位置を持つ「渡し船をめぐるユマ族との抗争」も史実にあったことだそうです。

物語を、すなわち少年を含む登場人物たちを支配してしまう者は、「判事」です。彼はあらゆる事柄に精通し、自分こそが宇宙の真理に到達しえる唯一の人間であると信じて、何の躊躇もなく人々を殺戮していく、いわば「ニーチェ的な超人」なんですね。彼が少年たちを連れて行く先は、生命の尊厳を蹂躙し尽くす「地獄」にほかなりません。

メリディアン(子午線)とは、太陽が最高点に到達する正午のこと。「生命力の発現がピークに達する正午が、夜の始まりの合図になる。人間の霊はその達成の頂点で燃え尽きる。人間の絶頂は、同時に黄昏でもあるんだ」と語り、残虐行為によって人々を支配する「判事」の存在を肯定するかのような本書は、極めて「挑発的な小説」です。

もちろん、挑発されているのは読者です。この小説とどう向き合うのかによって、自らの「人間観」が試されるような気がします。

2010/3